表紙をキマイラの寺田克也氏にして装いも新たになった餓狼伝。
文七対カイザー武藤、堤城平対グレート巽と見所が満載です。この巻でひとまず東洋プロレス主催の大会は終わり、いよいよ13巻のあとがきにもあった松尾象山と磯村露風の過去の話しに入っていきます。まだ、スクネ流やらホセラモスガルシーアなどの伏線が残ってはいますが、文七の復活でそれも回収されることでしょう。
やはり堤城平の闘い方は素晴らしかった。問題は次巻がいつでるか……それぐらいですね。
なんだかアマゾンのカスタマーレビューを見る限り、 大瀧啓裕氏の翻訳は「悪い」というのが定説のようになっているようですが、 僕は全然そんなふうには感じません。 3巻から始まって4巻5巻と、氏による翻訳が続いているわけですが、 いったい何がいけないのか、たしかに文章はだらだらと歯切れが悪く、 晦渋で難解なところがあることもたしかですが、 その文体すらおどろおどろしい文章だからこそかもし出せている恐ろしさ、 というのがあるのではないのでしょうか? 僕は例えば(有名なのでとりあえず名前を挙げるだけです。他意はありません!) 柴田元幸氏がここにあるどの話を翻訳したにしろ、 この人の翻訳ほどにはそのイメージを翻訳することはできないのではないか、 とぼんやりと確信しています。
大瀧氏の翻訳には、他の翻訳と参照したことがないので比較はできませんが、 ちょっと頭のおかしい人が一心不乱に書き付けたような混乱したような文章に まざまざと見える箇所がよくあります。 その箇所の異常ともいえる描写、たとえばこの巻だと、 「死体蘇生者ハーバード・ウェスト」の野戦病院のシーン、 「魔女の家の夢」の主人公が夢から逃れようとするシーンの、 執拗なまでのねちっこい描写は十分翻訳者の責を果たして、 より以上のものがあるのではないか、と思わさせられます。とにかく悪くない翻訳です。
単純に文章が難しいから、翻訳が悪いんだと決め付けてはいないでしょうか? 文体の難しさ、テキストを読むことで得られる恐怖の色合いを翻訳するのも、 翻訳家の大切な仕事だと思います。
ただこの巻は、他の巻からもれた話をとりあえず一括りにしたような印象が強いので、 星は1つ減らさせてもらいました。
時代は平安。 西行と宿神の物語。 物語の入口は清盛と義清(後の西行)が回す流れは陰陽師の様。 陰陽師が好きな方はすんなりと物語に入れるかと。 一巻目はまさに入口、色々な事はこれからです。 ただ物語の雰囲気と登場人物、展開に期待させるものがあり、早く次を読みたくなります。 久々に楽しみな夢枕獏になりそうです。嬉しいなぁ。
「では、明日にでもゆこうか」 「うむ」 「ゆこう」 「ゆこう」
晴明と博雅、二人の会話。屋敷の庭の風情。晴明の唱える呪に、博雅の笛、蝉丸の琵琶に誘われるように現出する鬼や神達。文字を追うこと数行のうちに、私もまたいつものようにその世界に深く入り込み、晴明と博雅が酌み交わす酒の匂いをかぎ、季節の移ろいを共にする。桜、菊。蜜虫が二人の杯に注ぐ酒の音すら聞こえてくるようだ。
回を重ねても、話の起承転結はあまり変わらない。それがいい。 安心して文字を追えばいい。いつもと変わらない晴明と博雅が、そこにいるから。
ブライアンイーノの名前で買いました。イーノの曲はすべてで三十分足らずです。せめて六十分は欲しかった。一方、伶楽舎のほうは意外の拾い物でした。雅楽は積極的にCDを購入する機会がありませんからちょうどよかった。音楽のレパートリーが拡がる良いきっかけになりました。
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