かつては角川、光文社の2社に分かれて出版されていた文庫を、全てまとめて再版した、編集者に感謝したい。
短編集だが、この作品を超える和製ハードボイルド小説は無い、と断言する。甘ったるいとさえ思える矢作節も、舞台がニューヨークだからだろうか、はまりすぎている。
矢作俊彦の名を世に知らしめた処女長編。 警察の化け物パトカーに殺された仲間の敵を討つため、 若者達がそれぞれの車を駆り、復讐劇を繰り広げていく。 本作の刊行により、氏は以後しばらくニューハードボイルド の旗手と目されることとなった。 筋立てこそ簡明だが、散りばめられた意匠、軽快な会話、 スタイリッシュな文章、類い希な比喩表現など初期作品群 の要素がほとんど揃っており、現在入手できる作品の中では、 著者の片鱗をうかがうに最適な作品と言える。
舞台は1979年。バブル景気のドンチャン騒ぎはまだだが、高度成長期を経て十分、日本人は経済の繁栄を謳歌していた。CIAとソ連が仕込んだ中ソ戦に巻き込まれる日本人達(=作者達を含む)が展開するドタバタを描いた本作では、戦争ですらどこか他人事でエンジョイしようとする軽薄な日本人達を描いている。
80年代に大友の代表作の一つに数えられた本作だが、ここで描かれた軽薄さを裏打ちする「豊かさ」という余裕を日本がそろそろ失いつつある「今」の時代にこの作品を読み返すなら、という観点で見ると、やはり色褪せたものがあるのは否めないので星は渋めに点けてます。ですが、日本の漫画史の中で今後も参照されるべき作品であることには変わりありません。
気楽なエンタメとして、読み飛ばそうとしたら<ストーリー><人物相関関係>まったく理解把握出来ない!
ロシア・マフィア、中国人黒社会、日本の右翼、警察、公安 外国人ホステス 入り乱れ、一人が色んな名前を保持している事も多く、
誰が誰の手先で、どう主従、共犯、雇用、服従関係が成り立っているのか、何度か何十ページも戻って読み直しを敢行したが、
私ごときの読書力では、ついに整理しきれず、利害関係・人間関係の把握については殆ど放棄状態。
それでも読む手を止められないのは、次々と繰り出される殺戮銃撃襲撃シーンの面白さ。ところがこういったシーンでも
作者のスタイリッシュ(なのか?)な作風か、敵が何人いて、何人倒して、残りは何処に居るのか、これまた
情景を簡単には頭に思い描けない!辛くてイライラしてしまった。(特に新潟港での戦い。酒でも飲みながら書いたんじゃないかと...)
それでも,此れでもかと繰り出される、クライマックス級のシーンの連続に、不満も飲み込まれて行ってしまった...
まるで今の日本のポップス音楽を活字にしたような作品。(=確たるメロディがないのだが、キャチーなフレーズ部分をこれでもかと
重ねられ、いつの間にかキャチーな部分だけが頭に刷り込まれ、後は如何でもよくなる。)他のレビュアーの中に<後に何が残るのか?>
との疑問があったが、私の場合は、<黒服の女殺し屋のスタイリッシュさだけを際立たせれば、片瀬がなんでこんなに自暴自棄に
突っ走るのか等ストリー自体には、さして気に病む必要のない話なのだ>と自分を納得させた次第。
加えるなら、上記の様な特異な話立てに、さらに<ファンタジー>話が織り込まれる、
=ズボンをトラウザーズと呼ぶ日本人集団の存在、
=<疑いと軽蔑>と言う台詞を聞いただけでフランス映画の台詞と理解する公安警察(アラン・ドロンのフリック・ストーリーか、ル・ジタンではないかと
思うが、間違えていたらゴメン)
=エリック・クランプトンと聞いて即座に「クリーム」を連想し、ジャック・パーセルを履いて、小船をテンダーと呼ぶ刑事
繰り返すが、話のオチにしても取ってつけたような右翼がらみの話で、やっぱり<殺し屋>の際立ち具合にさえ
我々はうっとりさせられたら、後を気にしてはいけないのでは...だって、そうでなければ、この話はくどさのない
大沢氏の『狩人』シリーズと寸分違わない気がするのだが。
☆3をつける勇気も、☆5をつける自信もないので☆4.
P254 <空の拳銃を飲んで道路を引き返す>意味が良く掴めないのですが...
戦後日本の偽史小説。設定の枠もとびきりだが、なんといっても作品内に下敷きとして利用(?)されている他作品の過剰かつ華麗な手法には舌を巻くばかり。読んでいると「どれだけ判る?」とハードル設定されているような気さえしてくる。個人的に気に入っているのはプルーストの「ねこめし」パロディ。夢野久作のドグラマグラなんかまで出てきて、過去の読書のデジャブの氾濫のうちにストーリーは進む。こんな体験他では到底出来ない。諸外国へ翻訳して、日本のこの大家を知らしめてもらいたい。それが出れば、相当数のこの作品を対象とする研究本だって出てくるに違いない。
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