2005年に急逝した倉橋由美子の待望の新刊! そしてこれが、本当に最後の新刊=遺作です。 最後の新刊だと思うと哀しいですが、日本文学史に名を留めるべき彼女の数々の傑作がほとんど絶版状態の寂しい現状からすると、 刊行されただけでもラッキーだとも言えるでしょうか。 小説の単行本としては6年ぶりのものとなります。
妖しいバーテンダー九鬼さんと、慧君(きっと美青年!)が中心のカクテル・ストーリー。 一編一編が濃度が高く、上質な小説を読むことの快楽に読者を酔わせてくれます。 一見ただ優美で官能的でありながらも、しっかりと鉱物のように硬質で、気品あふれる完成度の高さ! そこに匂い立つ、暗く密やかな甘い毒のようなエロスは、なんといっても倉橋作品の隠し味でしょう。 それはまるで九鬼さんの作るカクテルのよう。 この唯一無二の世界観を、新作でもう一度読むことができて、本当にうれしいです。
読み終わった後改めて、彼女の不在が心にしみました。 森茉莉、金井美恵子、松浦理英子、川上弘美、小川洋子、桜庭一樹といった作家が好きな方は、まず倉橋由美子を読むべきでしょう。 美しい装幀も含めて、ファンは必ず持つべき1冊。また、短編集なのでまだ倉橋作品を未読の方にもおすすめできます。
本書は定番の童話に著者独自の味付けやヒネリを加えたオトナの短編集である。最近流行った「恐い童話モノ」のハシリと言えよう。ただし、よくありがちな心理学的考察等を加えるといった類の本ではなく、子供に聞かせるような寓話的な趣を持つお話である。本書の面白さは、なんといっても各話の最後に太字で記されている著者からの「教訓」にある。奇想天外な教訓から、とぼけた教訓、わけのわからない教訓、毒の効いた教訓、思わず笑ってしまう教訓、含蓄のある教訓まで様々ある。一話を読み終えるごとにいただける御託宣といったところか。この「教訓」を伏せておき、自分なりの教訓を考えた上で著者のそれと照らしてみるのも一興である。くわえて本書をよりいっそう魅力的にしているのが、書中に時折挿入されている、童話をモチーフにした木版画である。この超現実的な版画の放つ冷たい美しさが、読者を何ともいえない心地にしてくれる。話は各々数ページの長さなので、ちょっとした空き時間に読めて重宝する。原話と比べてみても面白い発見があるだろう。
これは大切な人からのクリスマス・プレゼントなのですが、読んだとき、感動しました。 人は自分の生活の中で自分の足りない所や寂しさ、どっちかというと暗い風になりがちですが、この本は逆に自分を愛する喜びを教えてくれたような気がします。 僕も誰かにプレゼントしたい一冊です。
倉橋さんの最後の作品は,ファンにとってはこの上なく貴重なのに,ここでの扱いは何だろう.300ページにもなろうという掌編集を,ひどく薄い紙に印刷して品格を落している.もっと立派な形で,とのコメントは全くもっとも.それに加えてがさつな解説.これは '他人を不愉快にしない作法' を身に着けていない (交歓, 1989, p.151) 者の仕業で,読むに耐えない.そもそも慧君は '桂子さんもの' の中の人物で,従って平安朝女流文学のお約束である色好みの伝統にのっとっていることは,はっきりしている.これが判らなくて何が解説だろう.折角の酔郷譚完本だけど,この駄文の為に減点は致し方ない.倉橋さんごめんなさい.
実に異様な作品です。 明らかにタブーを扱っている作品なのに関わらず どこかその文章の雰囲気に一種の神々しさ、というか 神秘性を感じてしまうのです。
だけれども扱っているのは 近親相姦なのです。 だけれども、露骨な表現はあまり出ては来ないのは 救いでもありましょう。
一人の少女の書いた記録、 そしてそれを読んだ少年の生き様… おそらく嫌悪感を抱いてしまうのは 少年の極悪非道の数々が あまりにも悲惨だというところでしょう。 さすがにそこら辺の描写は 眉をひそめてしまうものもありました。
だけれども終盤にかけての 一種の美しさは目を見張るものがあります。 それは「神格化したもの」の消失により 打ち砕かれてしまいます。 少女はそして、虚無へと変わる…
美しいのですが、 読む人を明確に選びますので 星評価はここまでとさせていただきました。
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