日露戦争を背景に明治後期に生きる日本人を描いたボリューム感たっぷりの大作である。主人公の医師「ドクトル槇」は大逆事件で処刑された大石誠之助がモデルとなっており、幸徳秋水など実在の人物も多数登場するが、本書はあくまでフィクションであり歴史的事実とは異なる展開となっていく。
著者がNHKの週間ブックレビューに登場した際に、「トルストイの戦争と平和のような戦争を背景とした作品を書きたいと思っていた」という趣旨の発言があったと記憶しているが、読んでみるとその通りで、多数の登場人物が日露戦争に関わり、運命が変転していく様が描かれている。(蛇足だが、主人公の美貌の姪の千春のキャラクタは、戦争と平和のヒロインのナターシャを思わせる気がするのは私だけでしょうか)
読み始めた時には上下で800ページを超えるボリュームに圧倒され、またテーマが重そうなので最後までたどり着けるか危惧したが、登場人物が魅力的で、ドクトル槇と永野夫人の恋愛模様などストーリー自体も抜群に面白いし、更に明治時代の世相や当時のイベントも非常に興味深いので、読み応えはありましたが、一気に読み終えることができた。著者の作品を読むのは短編集の「枯葉の中の青い炎」、長編の「ジャスミン」に続いて3作目ですが、本書は過去読んだ2作を上回る傑作だと思います。
日経、読売、毎日の3紙に取り上げられたこの辻原登の短編集は期待を裏切らない完成度です。時間的には古代から現代まで、空間的には世界の果てから夢の果てまで時空をひとつの文学空間に統一させる辻原の小説技法は、この短編集の中の「チバシリ」でも遺憾なく発揮されている。昭和の脱獄王、白鳥由栄の脱獄の一部始終を手に汗握る迫真の筆致で描いた吉村昭の「破獄」からたくさんのヒントをもらいながらも辻原は、脱獄王の心情を深い闇に誘ってみせる。読者はいつものように最後の展開に驚嘆するのである。
新聞連載や長篇小説の辻原作品とは文体が違うなあと思いました。
一文一文が隙間なくつながって、不思議な世界を組み立てていく感じにドキドキします。
ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」を下敷きにしているそうで、確かに
そういう雰囲気はあるのですが、でも2・26事件のころの日本の不穏な感じが
にじんでいて、それがストーリーにしっかり絡んでいて、やっぱりすごいです。
まぎれもなく辻原登ワールドです。最後の一行を読むと、もう一度最初から
読まなくてはと思ってしまいます。壮大な『許されざる者』も良かったのですが、
私はこちらのほうがずっと好みです。
芥川賞受賞作ということもあり、また個人的にも中国と関わる仕事をしている為、期待を持って読んだ。・・・筆者が中国関連貿易会社で働いていた経験があるからか、中国の風景描写はかなり細かくて、また登場する中国人達は一癖ある強烈な曲者揃いで、中国(それも内陸、奥地の田舎の方)に行けば本当に出会いそうなリアル感がある。物語の中身は桃源郷という名の村を中心としていて、幻想的で薄霧に包まれた様なミステリアスなストーリーだ。このリアル感と幻想感がミックスされて、独特の雰囲気を持つ内容に仕上がっている。これから中国で駐在して働く人、勉強する人、旅行する人などは持って行って、中国の雰囲気の中で読むと、よりこの独特の雰囲気を体感できると思う。
解説を入れて文庫本462頁の分量だが、楽しくてあっという間に読み終えた。後に女性天皇となる智子内親王、その母青綺門院等の皇族、将軍家治の第一の側近で日本の経済・社会を変革する信念に燃える田沼意次等の武士、与謝蕪村、池大雅、円山主水(応挙)、伊藤若冲等の文人、鴻池、北風等の大商人といった江戸時代中期・文化爛熟期を代表する人物が、著者の創造した人物とともに実に生き生きと躍動する。読後感は爽快の一言。
「花はさくら木」とは、智子内親王と友達の菊姫。恋のできない運命の内親王と、恋と冒険に生きる菊姫の友情がすがすがしい。そして「花はさくら木」とくれば続く言葉は「ひとは武士」で、田沼意次とその部下たちの凛々しさには惚れ惚れする。田沼は美化しすぎかもしれないが、その積極経済策は評価すべきだ。その田沼と青綺門院の、互いを認め合う京都御所での面会、田沼と智子内親王達の大坂訪問は、「花はさくら木、ひとは武士」の役者が揃う名場面だ。
物語は、貨幣経済が米主体の経済を圧倒するに至った現実の中で、重商主義を積極的に採り、江戸を大坂に並ぶ経済の中心にしようとする田沼と上方商人の対立を軸に、豊臣秀吉の時代にまで遡る歴史の流れ、上方の地理、それに中国の第1級の文物までがからんで壮大。その中で伏線を巧みにはった精緻な構成が最後まで飽きさせない。満足度100%の傑作時代小説だ。今は宴が終わったような余韻に浸っている。
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