歳を重ねて行くと、死はそれほど遠いものではなくなるようだ。この興味深いテーマの更に最後の部分について、本書の如き全体として大作を仕上げる実力とエネルギーは筆者以外に余り例を見ないだろう。 本書は古今東西・有名・無名、世上何らかの業績、存在や事件等で知られている人間の死の間際にスポットを当てて一人当り1ページ程度で描かれている。ルポのような、コラムのような、最後の部分がドラマチックであるほど、好奇心が湧く理由がありそうだ。 配列は死亡年齢順である。1巻は若年10代から49才。並みの書ではない特色は新聞の3面に登場したような犯罪・事件の顛末などもあって、昭和の旧いほうの歴史勉強という趣もあった。著者の仕事柄この辺は資料というところだろう。 モンテーニュは人間ならば当然人間全てに関心があると言っている。長編評伝のツバイクを連想したけど、一種奇書のテイストの本書は極めてユニークな地位を占めるシリーズである。
赤影、サスケ、影丸・・・我々が普段親しんでいる忍者物は すべてこの小説から始まった。この本は昭和34年発行後40年以上 経ても未だに読者に支持され続けており、そのこと自体が評価と 言ってよいのではなかろうか。現在でも「バジリスク」や「甲賀 忍法帖・改」など次々リメイクがなされている。 甲賀卍谷十人衆「甲賀弾正、甲賀弦之介、地虫十兵衛、風待将監、 霞刑部、鵜殿丈助、如月左衛門、室賀豹馬、陽炎、お胡夷」
伊賀鍔隠れ十人衆「お幻、朧、夜叉丸、小豆蝋斎、薬師寺天膳、 雨夜陣五郎、筑摩小四郎、蓑念鬼、蛍火、朱絹」 彼らが己の忍術だけを頼みに闘い抜くのである。その技も 人間離れしたまさしく異形のものに相応しい技である。 あの風待将監をして「ここに連れてきたのは敵に見せてもまずさしさわりのない、 いちばん手軽なやつですな。」と言い切った甲賀。 お幻の言う「四百年、血と血をまぜ合うて、闇の中にかもしあげた 魔性の術。」を誇る伊賀。その闘いの凄まじさよ。
この本はぜひ一度読んでみてほしい。そして文字通り 「惹きこまれる」感覚を楽しんでほしい。
音楽もいいですね。 このアニメにふさわしい曲とも言えます。 あとは、個性的なキャラがそれってありかと首をかしげるくらいのアクションを繰り広げます。 作品が作品なだけに、エロくそしてグロいですね。
「からすがね検校」、「ヤマトフの逃亡」、「おれは不知火」、「首の座」、「東京南町奉行」、「新選組の道化師」、「伝馬町から今晩は」の7つの作品を収めた時代短編集。「首の座」、「東京南町奉行」の2編が明治初期物、他が幕末物である。いずれも山田先生の冷徹な人生観、人間に対する鋭い観察眼が溢れ出た傑作揃いである。執筆に当っての丹念な史料調べの様子も窺えるし、何より短編にしては各物語のスケールが大きいのも如何にも山田先生らしい。
例えば冒頭の「からすがね検校」は、悪徳検校の一代記(そういう一面もあるのだが)かと思いきや、物語の進行に伴い登場する人物の驚くべき多彩さやその人間模様の複雑さに唸らされる。一種の数奇な因果応報譚とも取れるが、問われているのは読者の人生観だろう。歴史上の実在人物を自身の物語に縦横に織り込む手腕は山田先生ならではのもの。また、山田先生の戦争(及びそれを導いた日本人・組織の体質)嫌いは夙に有名だが、「ヤマトフの逃亡」はそれを幕末の清廉で自由闊達な武士(兼蘭方医)の運命に託して描いたもの。主人公の悲憤と山田先生の怒りとが重畳的に伝わって来る渾身の一作。それにしても、エンディングで出て来る人物は......。このコンセプトを敷衍して、更にまさしく"妖怪"を主人公として、明治初期の政治家・元武士の人間模様を緻密かつ雄大なスケールで描いたものが「東京南町奉行」。一見ヘンな題名だが、読み通すと山田先生の意匠が良く伝わって来る秀作。また「首の座」は、この題材をモチーフにした作品を多く見るが、これを人間の"欲"の観点から描いている点が卓抜であると共に、読み進むに連れ誰を主人公としているかを明かして行く手法が鮮やか(本編を含む幾つかの作品は"主人公当て"の楽しみもある)。
非常に充実した短編集で山田先生の世界を改めて堪能した。本作と同一趣向の短編集が後二作刊行される由で非常に楽しみである。
|