瀬戸内寂聴
読み解き「般若心経」 |
詩人がお経を読み解くという惹句にひかれて読んだ。だが、予想とは違ってというか、案の定というか、少し肩すかしを食らった内容だった。
著者の身内、両親、家族、親戚、友人、恩師らの老いと病と死が日記のようにつづられる。それも1,2年の間に状況は刻々と変化していく。著者は当事者としてその変化に翻弄されつつ、自他の間に生じる出来事を書きとどめていく。それは冷酷なほど突き放した視点とどこまでも寄り添って見とどける意思とで貫かれる。まさに四苦八苦の現実なのであるが、四苦八苦が仏教用語であると気づくまでもなく、このような現実を受けとめようとするとき自ずから仏教が拠り所となるのは著者ばかりではなく、大多数の日本人の習性だろう。私もそうなのだ。 だが、この世を苦の世界と見る仏教がそこから救われる方法を提供してくれていても、それを素直に受け取る、すなわち信仰に入れるかと言えば、これが非常に難しい。著者は、苦がきわまる果てに、詩人らしくお経が詩として立ち上がる体験をしたのだろうか。訳され分かち書きされた経典、和讃、偈、高僧の言葉は確かに力強くインパクトがある。しかし、四苦八苦と直面する詩人の、これらの言葉によって引き起こされただろう心の化学的変化までは共有するには到らなかった。 |
源氏物語 巻二 (講談社文庫) |
六条の御息所の執念はすさまじかった。女の嫉妬は怖いと思った。
葵にとってはつらく、短い人生だった。恵まれた家庭に生まれたからといって必ずしも幸せになれるとは限らない。彼女はより積極的に自分の欲をだすべきだったのでは、と思う。 末摘花はかわいそうな女性だ。人見知りは損だ、そう思った。 |
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