石原さんが出合った人生の素晴らしい達人達の生き様を紹介するお薦めのエッセイ。ここに登場する人々のいかにも男らしい、まさに日本男子と評することのできる方たちと石原さんとの折々の交歓が独特の硬質で美しい文章で活写されている作品です。(因みに女性は一人も登場しません)石原さんは後書きでこの本はいわば私蔵の美術館のようなものだと結んでおられますが、随分贅沢なめぐり合いに恵まれたのだなと羨ましく思います。今ではすっかり強面で鳴らしておられますが、このエッセイを読みますと石原さんはこれらの先達方に大変礼儀正しく対処されていることが伺われ、叱られそうですが湘南のお育ちの良いお坊ちゃまであったこともこれらの方々から石原さんが可愛がられた所以かなとも感じたものでした。
さて以下は私の個人的な思い出話です。
湘南高校の先輩でもあった石原さんをはじめて見かけたのは私が中学1年、石原さんが芥川賞をとられた直後のことだったと思います。当時の石原さんのお住まいに路地をはさんで断層と褶曲層が入り組んだ珍しい30メートル程の崖があり、そこではいろいろな貝の化石を採取することができました。私と仲間は崖の上の木にロープを縛りそのロープで体を支えながらハンマーで化石取りをしていました。たまたま縁側にでてこられて見上げ、崖先の私達に気付かれた石原さんのお母様がいかにも危なげな子供達を心配されて、もうおよしなさいというようなことをおっしゃり、庭でゴルフの素振りをされていた慎太郎さんに同意を求められました。その時慎太郎さんは突き放すように言われました。「君たち、墜ちて死ぬのは勝手で構わないが、そうやって君たちが削り落とした岩が道路に散らかって歩きにくくて困る。それを片付けてから墜ちてくれ」 時折都議会での石原さんの答弁を見聞きするたびに少年の日の小さな冒険のことを思い出して、相変わらずの石原レトリックに微苦笑します。
著者曰わく「この本は私蔵の美術館のようなものだ」 持つだけではなく操縦出来なければ無意味なヨットの記憶。若くして作家・政治家となった著者が描いた様々な友人や、関わった各界の名士達との交遊録。 よく自慢話だと貶す方がいるが、これだけの経験が出来る著者が正直、羨ましい! 一癖も二癖もあるアクの強い友人とヨットや遊びに興じ、時にナイトクラブやキークラブなどの風俗を懐かしみつつも、共に金権政治打倒を盟約た青嵐会、また映画や出版界にまで話が及ぶが、そこに登場する連中の描写が堪らない。 著者の父代わりを自認する新聞社社長とか、今は著者の片腕として活躍する友人とか、本当に話題が多岐に及んで尽きず、読むたび毎に羨望と嫉妬が増幅してしまう。 『わが人生の時の』シリーズで読んだエピソードと重複する内容も散見するが、特にヨット絡みだと熱が上がる。 欲を言えば「小説としてではないが何かの形で、私の政治生活の中でいわばある年代記のように、個人ではなしに群像の記録として記し残しておきたい」青嵐会に関して、もう少し詳しく読みたかった。
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