アルミ材を削りだしたミラー軸部に高級感があります。ミラー部分は必要最小限の映写範囲でしょうか。ミラーが長方形なので、後部が細長く切り取られて確認できます。
PCXの純正ミラーは見にくかったので交換してみました。 視認性は格段によくなりましたが、自分的には見た目が若干微妙(好き好きだとはおもうけど) でも、総合的には良い買い物だと思います。(値段的に妥当かなと)
父から薦められて読んだこの本、すごく刺激を受けました。
今、何度も読み返しています。
父も祖父から薦められて、大学生の時に読んだそうです。
100年以上前に書かれたとは思えないほど新鮮な内容で、我が家3代に渡っての愛読書となりそうです。
「思い」がすべてを決める。
あなたは、あなたが夢見た人間になる。
すばらしい言葉が沢山書いてありました。
本当にすばらしい本でした。
アルプス越えを果たしたナポレオンがいよいよ老将メラスとぶつかります フランス軍はマッセナの降伏による混乱とナポレオン自身のミスで敗北寸前まで追い詰められますが、そこからの逆転劇が痛快でした。 他にもエジプトでの悲劇やフーシェの暗躍、ジュノーのロマンス等見所一杯で楽しめました。
先の太田出版版の単行本と違うのは原書初版にあった出版者による前書きが追加され、訳者があとがきで述べたように「初版」が再現されたことである。また訳者のあとがき(翻訳を依頼した批評空間社の内藤氏が追悼されている)も追加され、150年前と今日の出版事情がうかがえるようになっている。マルクスの時代との相似性は代表制の危機とともに出版の危機でもあるというのは気のせいではないだろう。
索引がないので大月書店版と岩波文庫版が無用になることはないとはいえ、マルクスの意図した戯画化を反映した読みやすい翻訳で決定版といえるのものである。
それ以上に太田出版版でも付録についた柄谷行人の論考がわかりやすくためになる。定本柄谷全集第五巻冒頭に所収されたものとほぼ同じだが、ここでは文末でボナパルティズムの危険が強調されて終わっているバージョンであるのは達見と言えよう(柄谷の論考は西川長夫編纂の研究書を参照した学術的レベルでも評価できるものだ)。
さて肝心の中身だが、代表制の危機を指摘するマルクスの先進性は評価できる。
しかしマルクスもドイツが題材だったらこのような戯画化は出来なかっただろうという印象が避けられない。
喜劇的事態でもそのまっただ中にいる人は笑えないものだ。
後にヒトラーが代表制の中で選ばれた事を予見しているとも言えるだろうが、今日的に本書で印象に残るのはそうした戯画化(マルクスによればナポレオン三世は馬上のサンシモン主義者というより、馬糞のなかのサンシモン主義者といった様相だ)ではなく、マルクスが官僚制と軍隊の歴史的位置づけをしている部分だ。
そうした官僚制はポピュリズムの背後に生き続ける物であるから、喜劇的とは言えないし、ソ連等をみればわかるが、マルクスの政治主義の理論的陥穽とでもいうべきものだと思う。
その意味で同時期にナポレオン三世のクーデターを論じ、「君主なき君主制」の危険(これは社会革命が伴わない政治革命の必然でもある)を獄中で指摘したプルードンは再評価されるべきだろう((彼の『クーデタ』は本書で現状を追認するものとして批判されているが、邦訳もなく現在欠席裁判が続いている状況だ)。
歴史学的にいえば、マルクス的カリカチュアではなくプルードン的なアンチノミーの提示(アナキズムかセゼリズムか)が大事になるのだ(プルードンの『クーデター』に関しては河上健二編『プルードン研究』所収の西川長夫の論考に詳しい)。
この平凡版の表紙でもナポレオン三世の肖像画が使われているが、戯画化された漫画ではなくこうしたリアリズムが時代状況的にも求められているということだろう。
そしてこの肖像は、あくまで個人的見解だがマルクスのひげを生やし微笑した肖像にも似ている。
マルクスとナポレン三世、同じ政治主義の陥穽(マルクスはその政治主義からプルードンを極度に排撃し、ナポレオン三世は農民のための保護主義と布告のための新自由主義を政治的に揚棄するために選ばれた)の行き着く先の共通した微笑であるように思われてならない。
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