簡単な算数からはじめて、飛躍を感じさせること無くフェルマーの
最終定理が解決される過程を読ませる構成力と文章力に脱帽です。
また、翻訳特有の感情移入を妨げる変な日本語も無く、
ダビンチ・コードに劣らない、最高にエキサイティングな一冊です。
カラフルなキャンディ・ドロップス缶のようなアルバム。ビジュアル系ばりに耽美なフレーバー、初期の米米CLUBを彷彿とさせるような不思議なフレーバー、コーラスの声がかわいらしいフレーバー、いろいろなドロップがパッケージされている。
「jamboree-hahahaha」あたりは「遊び過ぎだろ!」といいたくなるものの、私はこのカンジは嫌いではない。結局、笑いながら聴いてしまうから。
アレンジとか音の構成全体の質感が好きだ。ハマる。Yes, Mama OK? ぽいスタイリッシュさがあって良い。音だけではない。金剛地武志さんの詞にハマる。「最終定理-post modern living-」の詞に描かれた情景を思うと、金剛地さんは詩人だなあと思う。大事な誰かを失うということを知っている人がこの曲を聴いたなら、記憶のどこかが痛むだろう。そして心の中で涙目になりながら、その記憶を美しく思い出にできるだろう。
「Q&A 65000」みたいに、笑ったり泣いたりいろいろあったり・・・人生ってこんなカンジかもね。
「数学×青春の無限の旅!」という帯のアオリは伊達じゃない。
世界初の数学コミック、というとお堅い学習漫画を想像しがちだが、そんなものでは全く無い。放課後の図書室、ミステリアスな才女、知的なメガネ男子、元気少女な後輩……、誰もが憧れるキラキラした青春がここにある。
何よりも、日坂ミカの描く絵が素晴らしい。筆で描かれた描線の一つ一つが、知的で繊細な作品全体の雰囲気を支えている(特に女性キャラの美しさは一見の価値アリ)。そして読み進めていくうち、シンプルな数式の奥にひそむ数学の無限の美しさに気づかされることだろう。
学生時代数学が苦手だった人にも、というよりそういう人にこそ読んでほしい、そんな作品。
邦訳リリースは2001年7月、文庫版は2007年7月。オリジナルは1999年である。非常に難解な暗号の歴史と技術をこれだけ噛み砕いて時系列的に配置した本はこれ以上にない、と言いきれるくらい傑作だ。そしてこの本を翻訳するというのは生半可な作業ではなかったろうな、と思った。
この本を読む前にまず、ブルース・シュナイアーの名著、『暗号の秘密とウソ』・『暗号技術大全』・『セキュリティはなぜやぶられたのか』の3冊を読み、ロス・アンダーソンの『情報セキュリティ技術大全』を読んでから取りかかった。しかしながらこの本はそういった専門書を遙かに平易に遙かに歴史的流れに沿って、その上遙かにドラマテックに読者に教えてくれた。たとえば良い例が、RSA暗号で使われている非対称暗号における公開鍵と秘密鍵の説明だった。シンはこう平易に説明している。
公開鍵→二つの素数aとbの積
秘密鍵→その積の元となった二つの素数
そしてその積の長さが充分に長ければ暗号強度は強い。
実に解りやすい説明だ。僕はこれ以上に解りやすい非対称暗号における公開鍵と秘密鍵の説明を見たことがない。
この例のような極めて冴えた説明が最後まで衰えない。有名なアリスとボブとイブも後半に登場するのだが(物理学においてアリスとボブの例えというのは通例になっているようだ)、この有名なキャラクタもシンの手にかかるとより一層見事な例示をしてくれる。超難解な量子力学においてですらだ。翻訳共々すばらしい作品で読み逃せない傑作だ。
結城浩の名作、数学青春小説(!?)の2作目、「フェルマーの最終定理」のコミカライズの第2巻。いきなり、冒頭から、ミルカさんたちの水着姿から始まるとは、ちょっと嬉しい読者サービス。
でも、こんなシーンって原作あったんだっけ?原作は読んだつもりだったんだけど、あまり印象に残っていないなぁ。しかし、それにしても、ミルカさんのスクール水着姿はインパクトありすぎ。自分の抱いていたミルカさんとはちょっと違うなぁ。
この「数学ガール」シリーズは、今のところ、最初の三作がコミカライズされているけど、どれも画を描く人が違って、それぞれかなり印象が違う。まぁ、この「フェルマーの最終定理」は、ちょっと自分のイメージとは違うんだけど、今回はその水着シーンもあり、なかなか楽しめた。でもやっぱり、数学ガールは、こういうシーンよりも、彼らが数学の難問を解いていくプロセスをどう描くかが肝心なところ。3巻に続くようなので、次回はそっちのほうも期待したい。
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