織田作之助の文庫版短篇集で、現在廉価で購入できるのは、『夫婦善哉』(新潮文庫)、『ちくま日本文学35 織田作之助』(ちくま文庫)、『六白金星 可能性の文学 他十一篇』(岩波文庫)の三冊であろう。
新潮文庫収録の六篇は全て、ちくま文庫及び岩波文庫のいずれか(あるいは両方)と重複しているため、ちくま文庫及び岩波文庫を持っているなら新潮文庫は不要だ。
ちくま文庫と岩波文庫とでは、「可能性の文学」「アド・バルーン」「世相」「競馬」の四篇が重複する。
このちくま文庫には「馬地獄」「夫婦善哉」「勧善懲悪」「木の都」「蛍」「ニコ狆先生」「猿飛佐助」「アド・バルーン」「競馬」「世相」「可能性の文学」の全十一篇が収録されており、織田の代表作を綜覧するにはよい。
本レビューは講談社文芸文庫版のレビューですので、お間違いなきようお願いします。
--------------------------------------------------------------------------- 表題作より併録のこちらの批評の方が面白かった。 文学論好きな方に是非読んで頂きたい。ごく短いので、すぐに読める。
この批評は新しい文学を志向しながらも、いたずらに古い文学を貶すことなく、 「古い文学で定石となっている形式(主にタイクツな身辺小説)」 を無条件で良しとすることの弊害を説いている。
冒頭の将棋名人の例にあるように、たとえ勝負に負ける羽目になろうとも、 文学上の定石を妄信してそれに捕らわれてはならないのである。 むしろ乗り越えねばならない。
定石ではないやり方を用いて結果的に負けてしまってもしょうがないが、 事なかれ主義で定石の枠に留まっていてはならず、 定石から敢えて外れて可能性を広めねば日本文学の発展はないのである。
当時の小説好きの人々が、 「私小説・身辺小説(=事実の裏打ちのある小説)」 「娯楽性のないタイクツな小説を是とすること」 にどれほど拘っていたかが分かり、興味深い。
志賀直哉批判の作品としては、 他に太宰の「如是我聞」や安吾の「不良少年とキリスト」などがあるが、 これらと比して「可能性の文学」における志賀直哉批判はより理屈がきちんとしており、 読み手に批判内容が伝わり易いように思う。
目次 ・夫婦善哉 ・放浪 ・勧善懲悪 ・六白金星 ・アド・バルーン ・可能性の文学
坂口安吾は、形式的な美を否定し、徹底して実用的なものに美を求めていく。
「見たところのスマートさだけでは、真に美なるものとはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。」
「それが真に必要ならば、必ずそこに真の美が生まれる」
彼の「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ」という一文はあまりにも有名だ。
伝統や文化に乗っ取った美は、空虚であり本物でないということだ。
だが、それでも人は、そうした空虚な美を求め続けるのだろう。そういう生物なのだ。
彼は「堕落論」で、「人間は(中略)堕ちぬくためには弱すぎる」と指摘している。彼は続けて「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」と言う。
だが私は、坂口安吾のこの主張は、軟弱者である一般人にとっては相当に厳しすぎるものだと思う。彼は心が強いのだろうが、多くの人はそうは行かない。それをすべての人々に、つまり多くの軟弱者に、要求するのはどうも「強者の論理」の気がしてならないのだが。
ちょっと批判したが、短いエッセイで読みやすく、一読しておいて損はないと思う。
成瀬巳喜男他日本映画全盛期の名画がDVD化されるそうで嬉しい。名匠・豊田四郎の「夫婦善哉」も人情ものの傑作で、甲斐性のないボンボンとキップのいい芸者の恋の道行きを大阪を舞台にした、笑いあり、ペーソスありの何とも言えぬ世界を作り出している。大店の若旦那でありながら、商売に身が入らず、あげく、芸者と駆け落ちして勘当。自分で金を稼ぐ甲斐性もなく、じり貧になり、店は婿養子に牛耳られ、金の無心もままならない。この頼りない若旦那を演じる森繁がなんとも上手い。絶品のはまり役だろう。相手の芸者を演じる淡島千景も好演。二人の間には日本らしいシットリとした情緒がある。二人の演技を見ているだけでも飽きない。極楽とんぼの若旦那は「便りにしてまっせ」と蝶子と二人の生活に馴染んでいく。こんな世界も昔はあったのか、と思わせる風情のある傑作である。
私小説/白樺派偏重の文壇を批判した本書所収「可能性の文学」の中で巧妙に情報操作しているものの、実際は自分や親族の体験談を必死に小説化していたことが大谷晃一氏による遺族へのインタビュー調査で明らかにされている織田作之助。(詳細は大谷氏「大阪学 文学編」参照。)そもそも志賀直哉に傾倒しながらも志賀本人にその作品を激しく嫌悪されたショックが、彼のその後の作風に大きな影響を与えた訳だが、その短い作家生活の中で表面的には戯作派を気取りながら、結局は私小説作家と同じ方法論でしか「小説」を書けなかったということを死ぬまで隠し続けたこの作家の人生自体が、何か哀しいネタ話のようではないか。自己嘲笑/自分突っ込みは大阪人の特技のはずなのに、最大の持ちネタを笑い飛ばせなかった繊細さが、筆力溢れるこの作家を未完成のまま夭折させたのかもしれない。
猥雑なエネルギー、人情、金銭、食いもんの描写、近松/西鶴への傾倒、という現代の「大阪文学」のイメージを作り上げた作家だけど、その実、そのエネルギー源は東京の文壇と白樺派へのコンプレックスだったという事実は、実は法善寺横丁の静けさよりも、その一筋北で観光客向けの「コテコテ」に彩られた現代の道頓堀の存在の仕方の方に案外連なっているようにも思えるのが面白い。
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