1972年5月6、7日 大阪天王寺野外音楽堂
[Disc1]
(1)春一番/西岡恭蔵
(2)かわいいあの子に/グループありちゃん
(3)分かっとくれ/ブードゥチャイル
(4)ももんが/ブードゥチャイル
(5)食卓/田中ケンジ
(6)30パーセント/田中ケンジ
(7)僕が行ってしまったら/田中ケンジ
(8)作詩術/田中ケンジ
(9)その指どけてよ/田中ケンジ
(10)インスタントコーヒーラグ/田中ケンジ
[Disc2]
(1)あたいの話/ダッチャ
(2)微笑を浮かべて/ダッチャ
(3)さびしき東通り/貧°苦
(4)ミネルヴァのふくろう/貧°苦
(5)1970年12月某日某喫茶店にて/貧°苦
(6)位置をかえて座ってみても/いとうたかお
(7)あしたはきっと/いとうたかお
(8)かたつむり/いとうたかお
(9)19才/いとうたかお
(10)雨やどり/いとうたかお
[Disc3]
(1)君はきっと/ザ・ディランII
(2)僕の街/ザ・ディランII
(3)ガムをかんで/ザ・ディランII
(4)その時/ザ・ディランII
(5)プカプカ/ザ・ディランII
(6)空はふきげん/金延幸子
(7)貧乏/はっぴいえんど
(8)はいからはくち/はっぴいえんど
[Disc4]
(1)ひまつぶし/律とイサト
(2)朝帰り/律とイサト
(3)ひがみ/律とイサト
(4)のんだくれ女/律とイサト
(5)かなしいね/律とイサト
(6)あの娘にあいに/律とイサト
(7)系図/中川五郎
(8)今はこんなに元気でも/中川五郎
(9)ミスター・ボージャングル/中川五郎
(10)俺とボギー・マギー/中川五郎
[Disc5]
(1)お早う眠り猫君/ごまのはえ
(2)まにあってます/ごまのはえ
(3)語呂合わせ/ごまのはえ
(4)しゃべりたいなあ/ごまのはえ
(5)留子ちゃんたら/ごまのはえ
(6)前へ上へ/乱魔堂
(7)出発/乱魔堂
(8)何のために/乱魔堂
(9)チェッ/乱魔堂
[Disc6]
(1)青い空の日/シバ
(2)夜汽車にのって/シバ
(3)もぐらの唄/シバ
(4)不眠症/シバ
(5)交叉点/シバ
(6)ミッドナイト・スペシャル/シバ
(7)カラス/小坂忠とフォージョーハーフ
(8)どろんこまつり/小坂忠とフォージョーハーフ
(9)機関車/小坂忠とフォージョーハーフ
(10)庭はポカポカ/小坂忠とフォージョーハーフ
(11)ありがとう/小坂忠とフォージョーハーフ
[Disc7]
(1)追伸/友部正人
(2)君がほしい/友部正人
(3)乾杯/友部正人
(4)もう春だね/友部正人
(5)一本道/友部正人
(6)まちは裸ですわりこんでいる/友部正人
[Disc8]
(1)冬のサナトリウム/あがた森魚
(2)赤色エレジー/あがた森魚
(3)君はハートのクイーンだよ/あがた森魚
(4)大道芸人/あがた森魚
(5)こうもりが飛ぶよ/はちみつぱい
(6)土手の向うに/はちみつぱい
(7)塀の上で/はちみつぱい
(8)たばこ路地/はちみつぱい
[Disc9]
(1)自転車に乗って/高田渡
(2)白い家/加川良
(3)かみしばい/岩井宏
(4)あしたはきっと/高田渡、加川良、岩井宏
(5)系図/高田渡
(6)寝図美よこれが太平洋だ/遠藤賢司
(7)結婚しようよ/遠藤賢司
(8)カレーライス/遠藤賢司
(9)満足できるかな/遠藤賢司
[Disc10]
(1)吉祥寺ブルース/武蔵野たんぽぽ団
(2)長屋の路地に/武蔵野たんぽぽ団
(3)もしも/武蔵野たんぽぽ団
(4)ミッドナイト・スペシャル/武蔵野たんぽぽ団
(5)淋しい気持で/武蔵野たんぽぽ団
(6)朝/若林純夫
(7)あしたはきっと/武蔵野たんぽぽ団
(8)Car Car/武蔵野たんぽぽ団
好みがだいぶ分かれると思う。
「いせや」が吉祥寺の表の代表なら、裏の代表は「ぐあらん堂」
であります。フォーク&ロックのライブハウスの草分け
でしょう。西荻にロフトが誕生する以前からありました。
鰹節がかかった茶づけ風ご飯「猫まんま」で腹を満たし
シバ氏のライブを聞いたものです。
たんぽぽ団の基地です。そう広くない店内では全員での
セッションはかないませんが、もともと「ぐあらん堂」で
ステージに立つ面々が、その場のメンツでやってたわけで
トータルで登場したのは、この中津川ぐらいでは、、
そういうわけで貴重な一枚であります。
Beatlesがいなくなることがハッキリした頃から、僕は、日本のフォークにシフトした。そこで、岡林信康を知り、ボブ=ディランを知った。さらにアーロ=ガスリーなども知るようになる。
このときに中津川でイベントが開かれ、残念ながら駆けつけられなかったが、学生運動花やかしころ、「既成の概念を壊せ」というムーブメントは、中学から高校に進む僕には、分かりやすく思えたものであった。
そういう中で、どういう媒体を通じたのか・・・おそらく深夜放送だったと思うのだが・・・このコンサートの模様が伝えられ、とにかく現場に行かなければ仕方ないと思ったものだ。
放送とか雑誌でしか知ることの出来なかった、このコンサートの模様が、明らかになった。拓郎の「人間なんて」はまともに歌わせてもらえなかった岡林と違った、初初すしさがある。
実は、このあと、拓郎は、メジャーデビューを果たし、世間的には「四畳半」のアパートで苦労してるという・・・・かぐや姫だね・・・ことを売り物にしながら、実は、結構いいマンションに住んでるなどということを知って、驚いたものだが、ま、それは別の機会に。
この中津川で、本当ならば、誰よりも、日本のフォークの先頭に立つべき岡林が消えてしまい、その後ろにいた高田渡や加川良も精彩を失っていく。
一部の心無い人たちのおかげで、歴史は大きく変わってしまうものだ。
そういう点で、重要な作品と思う。
2005年4月16日、夕方、高田渡さんの56歳の逝去を知り、50歳の僕は、本当にショックだった。 すぐレビューを書いて送ったが、お通夜と称して彼の好きだったバーボンを飲みながら、高田渡、加川良、遠藤賢司等のCDを聴きながらの操作だったので、失敗したのかもしれない。 このバンドというか、グループ、集団は、東京に戻った高田渡の行きつけの飲み屋での発足だと聞いているが、正直、よくわからない。 ただ、この集団には様々な人が出入りし、後にソルティーシュガーで「走れコータロー」のヒットをエル山本コータローも参加していた。 他でも書いたが、日本の「フォーク」というのは、日本独特の特殊な音楽で時代背景や社会状況を理解しないとわかりにくい点があるが、この「集団」の音楽は時代を超えて、理解可能と思う。 手作りの楽器を使った演奏は、昭和40年代に思春期を迎えた世代以降でも充分理解できると思う。是非聴いてほしい。
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