「二十四の瞳」の壺井栄さんの素晴らしい作品です。物語の舞台が私の生まれ育った郷土の環境に似ていることもあり、深い人間愛や愚かで痛ましい戦争について考えさせられるこの物語がより現実味をもって感じられました。多くの子供たち、そして大人たちに読んでほしい名作です。
瀬戸内海のある分教場に赴任した大石久子先生とその十二人の教え子たちの戦争による受難を中心に描かれている。 大石先生の「この瞳を濁してなるものか」は名台詞である。敗戦後の翌年復職した大石先生の歓迎会が生き残りの教え子達によって開かれるシーンは、涙、涙……
大石先生を主人公とし、それを取り巻く12人の子供たちの離合集散の運命と戦争という当時の暗い時代を背景にとらえた物語。先生を含め、12人の子ども全部が主人公であるとも言える。戦争中の庶民の日常生活がすみずみまで描き出され、戦争が個人の生活に及ぼした具体的な姿と、その時代的な意味とが重ねて描かれている。壺井栄の文学は、庶民に味方する文学で、人間的で温かい。戦争を知らない人の方が多くなっていく時、未来に読まれ継がれるべき名作である(雅)
新品同様で、とてもきれいでした。 内容も面白く読めました。また、行きたくなりました。
この作品を「反戦映画」としてしか観られないようでは、その鑑賞者の感性はいかにも貧しすぎると思う。
(あまりにも有名な作品だから、物語のあらすじを辿るのはやめておこう。書くのがめんどくさいし。)
数年前にリメイクされた『二十四の瞳』(黒木瞳主演)については、観ていないし観る気もないから分からないが、木下恵介監督のこの『二十四の瞳』(高峰秀子主演)に関しては、「戦争反対がこの映画の趣旨です」と言ってしまうにはあまりに惜しのだ。なぜなら、確かに「戦争の悲しさ」がモチーフのひとつになっているとはいえ、あるいは「女性の自立」みたいなモチーフも見え隠れするとはいえ、そこにさほど強いアクセントが置かれているわけではないからである。
映画作品の魅力を上手く表現する力が私にはないので、手短に結論だけ言っておくと、木下映画が魅力的なのは、ひとつのテーマのごり押しになってしまうことを注意深く避けて、あくまで「時代」を描くことに徹しているからである。
これは木下監督のほかの作品にも言えることだ。「戦争なんか早く終わればいいのに」とか「命は大事にせなあかんよ」みたいな、監督の「思想」らしきセリフはいくつも出てくる。だがたいてい、しつこくならない程度のタイミングであっさり次の場面に切り替わってしまう。だから、ある種の人は期待を裏切られるだろうし、またある種の人は憤懣が高まる前に拍子抜けするだろう。
でもそれでいいのだ。「時代」という、一つか二つのテーマに還元することなどおよそ不可能な、広がりと深みを持った対象を木下は捉えている(捉えようとしている)のだから。
またあるいは、「テーマ性」を追求しすぎると「時代のリアリティ」を遠ざけてしまい、「時代のリアリティ」を追求しすぎると「テーマ性」を手放すことになって何の映画だったのかが分からなくなるという、矛盾・葛藤・逆説を引き受けていることが、木下映画の魅力だと言ってもいいかも知れない。そういう緊張に耐えられる監督は稀有である。
「戦争はいけないことだと思いました」みたいな野暮な感想しか持てなかった人は、6回ぐらい観なおすべきだと思う。
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