前作の「旧約聖書を知っていますか」に続いてとうとう西洋思想の大元、新約聖書の解説ブック。 私がキリスト教信仰に惹かれ、実際に教会に足を踏み入れるまで、ずいぶんとたくさんのキリスト教関連本を読んだが、阿刀田高さんはその中でも群を抜くほど面白かった。 「旧約聖書~」はユダヤ教という日本ではあまりなじみのない宗教のバックボーンとして読むことができる。 だが、新約聖書はモロ、生きたキリスト教の真髄であり、神学的カラーを除いてはこの書の意味を伝えることはできない。 旧約では確かに成功した、入門書としてのガイドブック化も、こと新約に至ってはずいぶん苦労されているのが文間に見える。 キリスト教を信じられるかどうかの最大の分岐点は、イエス・キリストを神の子と認!められるかどうかで、‘彼’を人間とし、復活を何かのイメージと捉えるならば、それはキリスト教をモチーフにした別物である。 阿刀田氏はあくまでも信仰者とは違う視点から、キリスト教のバックボーンが全く無い日本人向けに本書を書かれた。だから、もしこれからキリスト教を学ぼうとされているなら、本作はお勧めしない。 なぜなら・・・読みクチが面白すぎて、キリスト教の教会で信者の人たちが信じていることと、本書のギャップとの修正がかなり大変になるからである。
イソポのハブラス、いそぼ物語と、日本でもずいぶん昔からイソップが語られているとは知らなかった。
ヨーロッパでイソップがどのように語られ、寓話が確立されていったのかをみると、下心という人生の知恵がふんだんに含まれているのが納得がいく。
生活と宗教が一体となったイスラム教。日本の多神教国家では、なかなかその実態がつかみ難い宗教です。
9.11テロにより、世界的に脚光を浴びましたが、テロとイスラム教は本来全く違うもの。宗教は、もともと共存共生で栄えてきました。
ユダヤ教からキリスト教、そしてイスラム教の系図がわかりやすく、また宗教と生活慣習の実態も物語っておられます。
「豚肉は、何故食べないか?」「売店には、女性が何故いないのか?」などを、紐解いてくれます。
私たちも、私たちとまったく違った生活や価値観を認め合って生きていくことが、これから必要。日本人の国際性を、この書を契機に高めていきたいですね。
真実というのは、明らかにされた方がいいものと、誰かの幸せのために、隠されたままの方がいいものがある。真実がわかることによって救われることもあるし、絶対に明かしてはならない、それこそ墓場まで持っていかなくてはいけない場合がある。作品によって、真実が明かされるものとそうでないものがあるのだが、どの作品も読んだ後にほっとするのは、その結末がみんなにとってふさわしいものであるからだと思う。
なかでも乃南アサさんの『福の神』が一番ぐぐっときました。以前、別の短編集で読んだことのあった作品なのですが、改めて読んでみると、心にしみます。もしかしたら、自分が母親になったからかもしれません。小料理屋を舞台にした静かな作品ですが、女将の心情がよく描けていて、これだけの短い作品なのにすんなり感情移入してしまい、最後はほろりと来ました。
これだけの作家の作品が一度に読める。それだけでもお得ですが、なにより短編というのがいい。短編で、読者をあっと言わせるのは結構大変なことだと思いますが、これらの作品がすばらしいのは、登場人物の描き方。短編でも、その人たちの人となりがよくわかり、その結末に納得がいくというのは、さすが一流作家。
文庫オリジナルアンソロジーですから、読んだことのない作家の作品を読んでみたり、新しい”お気に入り作家”を探すのにもってこいでしょう。
800編余もの短編小説を書いている著者が、短編を書く小説家の工房、短編を書く手立ての極意を開示しています。 短編に親しむための道案内です。見本として登場する作家は、向田邦子、芥川龍之介、松本清張、中島敦、新田次郎、志賀直哉、R.ダール、E.A.ポー、夏目漱石、そして著者自身。 具体的に例をひきながら短編の魅力を語っています。たとえば、巧みな比喩(向田)、短編小説の見本帳、最後に一工夫(芥川)、ショックに別のストーリーを加味しての創造(清張)、奇妙な味わいと漢籍の知識(中島敦)、素材の発掘と加工(新田)、モチーフの作品への具体化(直哉)、過度の状況設定から思いがけない結末へ(ダール)、推理小説と怪奇小説の背後に理系の観察力(ポー)、ショートショートの名手(漱石)、どんでん返しの効果(著者)等々。 「朝日カルチャーセンター」(新宿)での講義を中心にまとめたそうです。
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