上下巻とも拝読しましたが、著者の想像に依拠しているのではと感じられる部分が多く、とくに直接話法で語られる重要人物の心の動きには違和感を覚えました。たいへんな労作とは思いますが、終始その違和感が離れず当惑を覚えました。当時の人物像に取材したフィクションと思って読めば楽しめるかもしれません・・・・。
この作品は、鈴木商店という小さな商店から日本を代表する大きな商社へと変貌を遂げる成長と
その後の衰退、栄枯盛衰に一生を捧げてきた一人の女性の物語である。
「お家さん」(上巻)では、西洋に押しつぶされそうな日本を必死で自立させようとする商人たちと
神戸の町の活気のある情景が目に浮かぶような描写で読者を楽しませる。
男性は外で働き、女性は内(家庭)で働くという考えがあたりまえであった時代に、若くして
夫をなくした主人公は自分の意志で物事を決め商人たちを動かしていくだけでなく、幼い子供たち
の一人の母親としてもたくましく生きていく様はとても力強い女性という印象を受けた。
強く信念を持って生きていく女性の苦悩と成功、その時代の流れを感じることのできる本だと思う。
明治、大正、昭和を太くも短く駆けぬけた商社を通して、 歴史と文化と日本人というものをしっかりと伝えてくれる本です。 興味深く読むことができました。
平成22年9月に新潮文庫から出た玉岡かおるさんの「お家さん」は、鈴木商店の女社長ヨネの生涯を描いたフィクション。それに対して、城山氏の「鼠」は、鈴木商店の大番頭、金子直吉の生涯を中心に、鈴木商店の米騒動の焼き討ちの真相を究明するノンフィクションノベルだ。米騒動の研究書に掲載された証言者を一人一人訪ねたり、鈴木商店の社員たちを訪ねたり、朝日新聞社の当時の記者から話を聞き出したり、とことん取材を通して真相に迫る。多くの人に会い、取材を重ねるほどに、人の記憶の曖昧さやいい加減さに辟易する著者の苛立ちが伝わってくる。
1975年が初版で、42刷。隠れたロングセラーと言える。ぜひ、玉岡さんの「お家さん」と合わせて読むことをお勧めしたい。
久しぶりにおもしろい小説に出会えました。次がどうなるのか、待ち遠しくて、上下巻1週間で読み終えました。 それにしてもこの時代の女とは、哀しい存在でした。良家の子女であっても(だからそうとも言えるけど)、嫁ぐまでは親の庇護のもとにおかれ、嫁いだら夫の庇護のもとでしか生きられない存在。死別したり離縁すれば、戻る実家はあってもまた親の世話になり、次の嫁ぎ先を見つけてもらうのを待つしかない。それがかなわず親に死なれたり実家にいられなければ、ひとりで生きていく術をもてなかったのですから。でも、この小説の沙耶子がそうであったように、ひとりでも生きていけるようになりたい、と願う女性たちの地道が闘いがあったからこそ、女は今の時代を享受できるようになった。たった100年前はこうであった、ということを忘れてはいけないと思いました。
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