とにかく深海が好きで興味があるなら、 1本持ってて損はなし。 見てて思ったのは、少し画像が良くないというか、 ちゃんと画像に収まりきってない生物が多く、今横切ったのなんだ?! という思いにさせてくれます。 でも、音声無でリピート機能があるから、自分の好きな曲を聴きながら どっぷり深海の世界にはまれてよかったです。
幾つか呼び名があるようですが、私はD−sub15ピンの分岐ケーブルの呼び方がなじみがよく、15年前からそう呼んでいますが、最近三菱のモニタを2つ購入し、地デジ放送画面とパソコン画面を使い分けるときに、地デジ放送の方で使っています。
地デジチューナからこの15ピンの分岐ケーブルを通じて、2台のモニタに地デジ放送を流すようにしています。同時に2台のモニタで地デジ放送を見たいからではなく、チューナーに電源を入れ、ほぼ同時にモニタに電源を入れた場合にのみ、地デジ放送が見れるモードにしたからです。こうすると、パソコン画面はDVD−Dケーブルで優先的に立ち上げ可能で、地デジテレビをみたいときだけ、パソコンを消し、モニタに電源を入れればよくなりました。
このようにすれば、モニタの一つは地デジ放送、もう一つはパソコン画面となります。
その他、いろいろ使い道はあるようですが、15ピンの分岐ケーブルは結構役立ちます。ただし、2つのモニタで同時に地デジ画面を見ると、さすが多少画面が暗くなりますが、不愉快というほどではありません。学生寮の大きな食堂でない限り、同時に一部屋で2つのモニタで同じ内容の地デジ放送をみる状況というのはそう多くないでしょう。
この本は英エコノミスト誌をはじめとした、雑誌に掲載された記事をまとめたものです。
時期としては1997~2001年に掲載されているようです。
暫く前に書かれた記事ですが、古くささを全く感じません。
これから先、日本は世界はどうなっていくんだろう?
社会人として、一人の人間としてどういった事を予想し、日々の行動に反映させ、
長期的な計画を立てたらいいんだろう?
そんな思いを持っている時に私は読みました。
私はたいして賢くないですし、経験も人並みです、知識も人並みです。
だから、ドラッカー氏がここに書いてある事をなるべく素直に受け止めようとしました。
例えば、下記の様なものがあげられます。
「指示する」というスタイルから「パートナーと見なし、いかに協力して望む結果を共に生み出す」というスタイルが重要になるであろう事。
製造業の地位がかつての農業がたどったように、就業者の大多数が所属する分野ではなくなるであろう事。
知識のプロとしての知識労働者になる事、そういった人材を活用する事がいかに重要かという事。
このままの自分でいいのだろうか?
世の中はめまぐるしく変わっていくようだし、何かもっとした方がいいんじゃないか?
と自問自答しても漠然とした考えの粋から出られるずにいる人がいらっしゃったら、是非本書を読んでみて下さい。
きっと、そういった思いに対する何らかの答えが見つかると思います。
半分は表題の通り決断力について語られており、残りは将棋の世界事情について述べられているという印象。
特に一章、二章は、著者の思考回路を覗けるかで興味深い。「直感の7割はただしい」とあるが、これは裏付けのある知識と確かな経験を持つ者が言えることだろう。他書でも見られる考え方ではあるが、筆者は深い思考から決断しているイメージがあったので「直感力」を述べているのは
意外感あり、また興味深った。
この本は、小沢一郎さんの「住み込み秘書」などをしてきた石川知裕衆議院議員(2期,北海道11区)の汗と涙の作品で、単なる“暴露本”“内幕物”でもなく、また、“小沢ヨイショ”満展開といった提灯持ちの書物でも全くない。一言でいえば、それは小沢さんと寝食を共にしてきた「秘書さん」経験者による渾身の“小沢一郎・解体新書”であり、一級の“小沢一郎本”である。そこには、政治家としての、そして一個の生身の人間としての《小沢一郎》が、比較的距離を置いて冷静客観的に、かつ長短併せて見事に描かれており(「小沢≒キン肉マン論」等)、当然、外部の者には窺い知ることの出来ない興味深い逸話等も随所に述べられている。小沢さんが「おまえ、よく覚えてんな」と語ったことも確かに肯ける。
さて、「悪党」とは、私達が一般的に使用する語句と違い、本来は「鎌倉後期〜南北朝期に公武政権や荘園領主に敵対し、各地で蜂起した集団のこと」(『日本史広辞典』,山川出版社,1997年)を指す。当書のタイトルの「悪党」は、著者と交誼のある文筆家、佐藤優さんのコラム「平成の悪党になれ」に由来しているらしい。その佐藤優さんや歌手の松山千春さん、小沢一郎さんと著者が2010年10月20日、北海道に縁のある都内のとある寿司屋に集って行われた鈴木宗男さんの収監目前の「激励壮行会?」は、さぞかし壮観でディープ(!)であっただろう…。私なんぞ、知らずに店に入って、カウンターに座っている“日本最強”の「悪党!」メンバーに一瞥されたら、オシッコをチビってしまうに違いない(笑)。
ところで、「小沢無実」の流れが出来つつある中で、悔しくて悔しくて堪らないのが、「引かれ者の小唄」のような笑止千万の「社説(調書不採用−小沢氏の説明責任残る)」を掲げた7月8日付の石川議員の地元ブロック紙である。「説明責任」なるものは、先ず、ろくに事実を確かめもせず、検察の「リーク情報」を無批判に垂れ流し、「小沢はクロだ!真っクロだ!」と“ネガキャン”を張ってきた自分達が果たすべきではないのか? 過去の「小沢一郎」に係る報道姿勢を検証し、反省すべきは反省することが先決ではないのか? 最後に、“時代”は《小沢一郎》の前を無情に通り過ぎたかのように見えた。だが違う! “時代”はやはり《小沢一郎》を求めている…。《小沢一郎》を渇望している…。私はそう確信する。
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