三人の主体(記者、母親、ある女性)が主人公の「悼む人」をそれぞれの視点で見つめ続けます。
この三人が、自分自身の境遇や状態の変化と連動しながら、主人公とのダイアログを通して、主人公に対する見方や眼差しを少しずつ変えながら、いくつかの問いかけを発信し続けます。
これは私の直感なのですが、読者がいだくであろう様々な問いかけに対して、この小説には丁寧な解答が用意されているはずです。これらの問いかけは読者によって異なるものかもしれません。物語のテーマの重みとは異なり、読み進む作業は楽しい作業です。ただ、暗い気持ちの時に読まない方がいいと思います。
私に問いかけられた4つの答え(問いかけは上巻のレビューをご一読下さい♪
1 人間が生まれ、生きる意義を煎じ詰めるとこの三つのことが残る(企業の存在意義も同じです)
2 彼の人生が「悼み」の行為に「価値観」「かい」を与えたから
3 主人公の人生の道程だから、この問いかけに答えようとすることの方が無駄
4 この答えは内緒です。ぜひ他の方と共有してみたいです♪
悼む人とその廻りの3人(母、取材をする雑誌記者、自分が殺した夫を
“悼まれた”女性)をめぐる物語。主人公が“悼む”行為を始めた理由
も含めて、かなり重い話です。まさか、ここまで不幸が重なる話だった
とは。。。
とはいえ、日頃、伊坂幸太郎や宮部みゆきなんかを読んでいる僕には、
この手のテンポゆっくりめ、かつ、暗めの話も新鮮でした。お母さん
のガンとの闘病生活なんかは非常に丁寧で、ぐっとくるものがありま
した。
暗い割には読後感は壮快な物語です。
長い長い物語でありました。 以前から興味はあったものの、手に取ることもなく。最近ふと、生きてる内に一度は、と、やっと手に入れました。(文庫版ではなく、上・下刊ですが) 個人的に、キャストがピンとこなかったこともあり(特に、優希さんの)、テレビドラマ版は見ておりません。結局、読了後も、「ドラマも見よう」という気にはなりませんでした。この物語の世界は、この本の中だけで(自分の中だけで)、と思ってしまいました。 主人公達にとってはつらい時代であったろう子供の頃のエピソードが、最も深く、心に染み入りました。年のせいか涙腺も緩い今日この頃ではありますが、ポロポロ涙がこぼれまくるのが、その子供時代の話でありました。ただし、悲惨なエピソードのオンパレードで悲しくなったというよりは、つらい境遇における彼等3人の絆が、ただただ羨ましいなぁと感じられ、今のわが身が情けなくなっただけかもしれません。 やりきれないラストかもしれませんが、読了後1週間を経ても、自分の中にいまだ残り続ける感情は、ただただ、あの3人が「愛しい」ということだけです。
みすぼらしく、うすぎたない仕事場からも美しい美術が生まれるように、よごれた人間からもすばらしい芸術が生まれるかもしれない。――強烈な印象を与えるユニークな彫刻で知られる舟越 桂の創作メモの一節である。「それは難解な救い。そして人間に厚みを加えていると思う」と続く。
『個人はみな絶滅危惧種という存在――彫刻家・船越 桂の創作メモ』(舟越 桂著、集英社)には、手書きの創作メモが多数収載されていて、彼の創作の秘密を窺い知ることができる。「バッハは完全だったのかもしれない。だけど、以後、数多くの作曲家が、作品を作りつづける。これは、芸術が、今を生きる事と何か関わりがあるのではないか」というメモも味わい深い。
事件、事故、病気、亡くなった人を訪ねて故人を知る人に「その人は、誰に愛
されたのでしょうか。誰を愛していたのでしょう。どんなことをして、人に感謝
されたことがあったでしょうか」と聞いて回っては、故人を忘れないよう胸に刻
み込み、死者を「悼む人」の旅路を縦糸に、彼の帰りを待つ母親のがん闘病を
横糸に物語は彼と関わる人の視点で淡々と進んでいきます。死者を悼みながら旅
を続ける主人公の奇妙な言動は人々を戸惑わせ、いらだたせ、また癒します。
なぜ彼は死者を悼む旅を続けるのか?その原因は読み進むうちに徐々に明らかに
なっていきます。しかし、その行為は何を意味するのかは明確に語られません。
彼の対極として描かれる雑誌記者、愛する人を殺した女性を通して語られるその
意味もひとつの解釈であり、解答ではない気がします。
本作品は生と死といった非常に難解なテーマをシンプルに語っているので、
読者がどの段階にあってもよく分かるようにやさしく書かれています。それゆえ
誰でも、彼をどうとらえるか、死とは何か、生きる意味、死者を悼む意味について
考えることができます。誰でも読めて、読む人によって、読む時期によっても
解釈が異なる。あらゆる人に読んでもらいたいという作者の真摯な願いを感じます。
読者の数だけ「悼む人」はいるのだと思います。
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