いやはや、じつに重い本である。 しかし、じつに濃密な読書時間をもつことができた。
いわゆる<ヌーヴォー・ロマン>(あるいは、アンチ・ロマン=反小説)なので、クロード・シモンの作品は、読むときかなり抵抗感がある。 句読点が少なく、ジョルジュという語り手の回想があちこちに飛ぶため、改行もほとんどない本書の300ページは、優にふつうの小説400ページに相当するはずだ。
第二次大戦、フランス軍の潰走、語り手の属する騎兵中隊を指揮していた大尉の謎の死、ドイツ軍の捕虜、貨車での移送、収容所暮らし、空腹と労働を紛らせるための戦友とのホラ話、戦後になってから一夜をともにする大尉の若い未亡人との性……そういった回想(描写)が、時間的順序にまったくかかわりなく、ジョルジュの頭に浮かぶまま語られ、場面が入れ替わり、また交錯する。
先に投稿された<遠遊>氏も指摘するように、「従来の小説を期待して本書を手にとる人は10ページも読み進まぬうちに諦めてしまうに相違ない」。 しかし、謎めいた大尉の死や、時に色彩あざやかな描写や、死んだ馬が大地に呑み込まれてゆくような哀れなシーンなどに魅かれて20ページも読んでいければ、そこはもうクロード・シモンの小説世界。 十分、浸りきることができよう。
場面転換も――空腹のせいで草を噛もうとした回想が、大尉の未亡人の下腹の草むらにつながったり、逆に、からみ合った身体が、ギュウ詰めの貨車での移送を思い出させたりと、<イメージ連合>によるケースが多いので、さほどとまどうこともなくなる。
雨、土、埃、暗闇、銃声、死、眩暈……といった戦争(歴史)に押し潰され、この世が解体しそうになりながらも、そのなかで、時に人間たちが見せる仲間意識、欲望、ばかげたふるまい、恐怖などがぎっしり詰まった、この小説世界はじつに魅力的だ。
最後にひと言。 きわめて手のこんだ本書を十分に読めるものに訳しあげた平岡氏の<力業>には、ただただ脱帽。
おそらく普通の旅行者が、これを持ってブリュージュに出かけたとしたら、周りの風景の全体像をトータルに受け止める前に、足が一歩も前に進まず、大学の教養課程の授業を受けているようで、頭が痛くなってしまうのではないでしょうか。巻末のお勧めをくくっているうちに、割り当てられた一日が、あっという間に過ぎてしまうのかもしれません。といってもいいほど、ドライな本です。この作品は、むしろ中世のこの場所に生み出された都市の生誕についてのミニ百科事典のようなものです。数回この街を訪れたことのある私は、まるで大学の紀要誌を読んでいるかのような印象を受けたほどです。巻末にも、専門書としか思えないような、外国語(英仏)の参考文献が満載です。確かに、政治と歴史、地理と地勢、都市の誕生、国際都市としての人の混在、生活、芸術(音楽や絵画)、どれについても相当の知識が詰め込まれています。そして、注意深く読んでいくと、その背後には、それらを整理する著者の独特の視点(都市、中世、欧州についての)が伺われます。ところが、悲しいことに、面白くないのです。ページがまったく前に進まないのです。どうしてなのでしょう?街自体はあれほど観光客がおとづれるわかりやすい場所なのに?これは、相性の問題なのでしょうか?ところで著者は、同じ中公新書のあの”ステファン・ツヴァイグ”の著者のご子息なんですね(あとがき)。確かに、この2冊の間には共通するものがあります。
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