『スタンダールはつねにその結論によってではなく、
思考の過程の自由さによって公平さに達しているのである。』
上はあとがきにおける大岡昇平の弁である。
恋愛というものが目の前に現れたとき、本当に”味わう”事を選ぶ人間が
どれだけいるだろう。
われわれの目はさまざまな偏見に曇らされているので、自然であること、
ただただ恋を”味わう”などということを、簡単には選べない。
本書はあまり「ナニナニ論」といった堅苦しいものではなく、
スタンダールが古今東西から集めた恋愛・宇治拾遺物語、といったようなものである。
しかしすごいのは、そのナビゲータたる人物が文豪スタンダールであること、
この一点に尽きる。
そんじゃそこらの恋愛論のように恋愛の知識や技術について断片的に
書き散らされているのではなく、”恋愛とは何か”という本質的な事を、
「思考の自由さによって公平」に、そしてがっしりと捉えた彼の恋愛論は、
やっぱり土台が違う。
とはいえ所詮恋愛論。
苦しい恋の慰みにはなるかもしれないが、あまり役にたつような本でもない。
時間があるとき、もしくは恋をしている時、恋に悩んでいるとき以外に読んでも
あまり面白くないのでは?とも思われる。
小生は、S31年産です。西暦1956年。丁度、溝口監督さんの遺作『赤線地帯』の誕生した時に生まれております。全く古くない普遍の日本が映像に焼き付けられていますので、1936年の『浪華悲歌』から、貪るように観てます。とことん女にこだわった溝口監督さんは、凄いと思ってます。
黒澤明監督の弟子という肩書などなくても、もう名匠の域に近づきつつある小泉監督だが、助監督時代から20年近く温めてきたという脚本は、戦争を、それも中将という位の高い軍人の生きざまを通じて、それも法廷劇という閉鎖的な画を使って、反戦・平和と人間の尊厳を描くという非常に困難なもの。娯楽性にもスケール感にも乏しいこうした作品を世に出すには本当に良識ある映画人の苦闘があったのだろうと思う。まずは、こうした作品が世に出たことを日本人として誇りに思いたい。(イーストウッド監督の2部作を通じて、「日本人こそこうした映画を撮るべき」と思った人にはまさに福音のような作品です)
先にふれた画としての難しさもあり法廷場面の切り替わりだけでは時間の流れ/登場人物の感情の動きが伝わりにくく、ナレーションに語らせざるを得なかった点や、そのナレーターのうち、竹ノ内さんの語りが少々硬直的だったりと、満点とはいかない点もある。
しかし、毅然とした主人公の言動、見守る夫人の表情、懸命に主人公を救おうとする弁護士の献身、徐々に同じ軍人として心を動かされる検事、そして、助命を願いつつ絞首刑という判決を悲痛な面持ちで言い渡す裁判長など、日米どちらに偏ることなく、実話を通じて強くメッセージを投げかける映画全体の力をしっかりと感じた。
何度も見たい作品です。
自分も趣味で詩を書いたりしますけど、この人の詩からはだいぶ影響を受けています。 休むことを知らずに繰り返される日常の中に消えてしまいそうな切ない感情を表現することが、本当に上手い人だと感じました。
作品としては当然星は5つですが、解説を含めた書物全体としては減点する必要があるのではと感じました。作品が刊行された2年後に書かれた解説のようですが、いつまでも残す必要がある解説ではないと思います。作品を読んだ後の充実感にケチをつけられたみたいな気になって不満が残りました。
人間とは何か、人間にとって神とは何かという大きな問題に正面から取り組んだ小説なのに、解説はこういう中核の主題を避けて単なる小説技術論(それもどうも納得しがたい小手先だけの技術論)を論じるだけで、作品に正面からぶつかることから逃げている。そのくせ、自分はこの著者の作品を「解説」できるだけの力を持っていることを何とか見せようと色々細工をしかけていて、読んでいていい気持ちがしません。
わたしのように本編の後の解説を楽しみに読む人は少ないのかもしれないですが、時間が経って改めてこの作品の大きな意義を考え直す必要も出てきていると思いますし、解説を新しくするくらいのことをやってもよいのではないでしょうか。
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