本物の不良バンド、ゴールデンカップス! デイヴ平尾さんも亡くなり、後期のメンバー
柳ジョージさんも他界されてしまいました。 このDVDは発売当時に購入しましたが
当時の情熱が甦る異様な盛り上がりを感じました。 東京に対する横浜のプライドが
バックボーンなのでしょうか、本牧という特別な場所、1960年代後半という特別な時代が
こうだったのかというまさに伝説の映像だと思います。
そして再結成ライブのものすごさ! オープ二ングの「TheWeight」のエディ藩さんの
ドライブのかかったリードギターには驚きました。 カップスの凄さは不思議とCDでは
伝わりきらなかったように思います。不良のなかでも本物の不良だったというマモル
マヌーさん、さすがにドラムはサポートメンバーにまかせていますが「過ぎ去りし恋」
などで往年の甘いボーカルを披露しています。「横浜ホンキートンクブルース」の最中
に加部さんが弾きたくなくて退場するところなどいかにもカップスです。
耳にタバコを差し込んで煙を吐くルイズルイス加部さんのジャケット写真がカップスを
象徴しているような気がします。こんないい加減な最高に素敵なバンドにはもうお目に
かかれないでしょう。
これは本当に素晴しい作品。かつて横浜からはゴールデン・カップスが登場し、コテコテの京都ブルースとは一味違う「ハマのブルース」を世に広めたが、そのカップスにミッキー吉野が加入するまで音楽的支柱を担っていたのがこのエディ藩だ。そのエディ藩が74年に発表した、オリエント・エキスプレス唯一の作品である。このアルバムはブラスセクションを大胆に導入し女性コーラスを加え、ファンキー且つR&Bフレイバー溢れる非常に味わいのあるアルバムとして「幻」の存在だった。とにかく今風の「緻密さ」というカラーは全くなく、その“ゆるさ”と余裕のノリが圧倒的な存在感を醸し出している。久保田真琴&夕焼け楽団的な徹底したバタ臭さまでは行っていないのがまた横浜的であり、これはジョン山崎のライトなVoに負う部分も大きい。エディ藩は驚くようなテクニックをこれ見よがしにひけらかすギタリストではないが、スティーヴ・クロッパーのような味わい深いギターを聴かせてくれている。サザンの登場以降、横浜は「湘南サウンドの発信基地」的にお考えの方も多いと思うが、実はこんなに素晴しい独自のカラーを持つ「ハマのブルース」の生きる土地なのだ。これは明らかに“文化”であり、継承者を育てながら守ってもらいたい「無形文化財」である。
今から20年以上前のまだビデオがなかった頃のクリエイションの映像がDVDで見れるとは思いもよりませんでした。当時Fighting80'sは和歌山放送で放映されていましたが、このDVDに収録されている回の放送は記憶にありませんので、見逃していたのでしょう。ロンリー・ハートはTV主題歌で有名ですが、それよりは初期の名曲TokyoSallyと私が一番好きなNew York Woman Serenadeにおける竹田和夫のストラトにハムバッカーを搭載した太くマイルドな音色のギターと黒っぽいボーカルが絶品です。さらにボーナストラックは73年のものということですが、昔のファッションとレスポールが超かっこいいです。エディ藩も悪くは無いですが、できればクリエイションの曲(特に初期のもの)をもっと見たかったというのが正直な感想です。ぜひ、第二弾を出して欲しいものです。
ゴールデン・カップスのギタリストだったエディ潘のアルバム。Jazzのスタンダード曲「ルート66」をベンチャーズの演奏でエディ潘が歌っています。この曲はいろんな方がやっていますが、エディ潘のボーカル、かっこいいですね。また、「横浜ホンキートンク・ブルース」といえば、松田優作や原田芳雄も歌っているのですが、その本家本元です。演奏はクリエーション。アコースティックギターで歌う「BLUE JADE」も良いですね。
これはまた大変レアな1枚がCD化されたものだ。これが爆発的に売れる…とはとても思えないが、こういう企画のCD発売には大賛成だ。バークリー音楽院を卒業し凱旋帰国したミッキー吉野はゴールデン・カップスに参加したが、カップスでは彼自身が理想とした音楽をクリエイト出来なかったのではないか。カップスは個性の強い職人の集りだったため、若いミッキーは遠慮していた部分があったものと思う。カップス解散後はミッキー吉野グループを結成し、郡山のワンステップ・フェスティバルに参加。このバンドがゴダイゴへと発展したわけだ。
このアルバムはミッキー吉野グループからゴダイゴへと遷り変わる時期に、かつての朋友エディ藩と共に製作したアルバムである。一応エディ藩がリーダーという位置付けとなっているものの、中身は明らかにミッキー吉野のカラー満載。横浜の香り漂うハイセンスなブルースを基調としつつ、アメリカ西海岸のカラリとした色合いのアレンジが随所に見られる「洗練されちゃったハマのブルース」という感じ。妙に明るいイメージに仕上がってしまったという印象がなくもない。バックを務めるゴダイゴのメンバーは確かな技術を披露しているが、この時期のミッキーは、後に現われてくるエレクトーンを駆使して「これでもか」と言わんばかりに和音で責めてくる色濃いプレイをみせてはいない。ギターの浅野孝巳もこの頃から既に巧みなギタープレイを聴かせてくれているものの、エディ藩とは明らかにタイプは違っており、この2人の組合せは相容れていないような気がする。バンド名が示す通りの典型的な「スーパー・セッション」のパターン。彼らが彷徨っていた頃のほんの一瞬を捉えた貴重な記録としては、持っている価値はある。
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