RアンドBとかのそういう感じの曲調が多いですが、それもズーニ―ブー
というバンドを経てのことを思えば当然でしょう。
氏がリズム感がいいのはこういうのが好きだからなのでしょうねえと、しみじみ聴き入らせててもらっています。
渋い感じなので、ダンディーな渋い大人方にも聴いてもらいたい感じですね。
私が世界で一番愛してやまないアニメーションである「宝島」の主題歌を歌われた
町田よしとさんのこんなに素晴らしいアルバムが発売されるなんて!ありがとう、コ
ロムビア様!!ライナーノーツによると、既に歌手としては引退されていらっしゃる
そうですが、ご存命である限りいつかまた素敵なバラードを耳に出来るかもしれませ
ん。それまでは、このアルバムを大切に聴き続けようと思います。
このアルバムが発売されたのは1979年のことでした。 発売当時、私は子供すぎて買えなかったのですが、店頭で見かけたレコードのことを忘れることができませんでした。
やがて時代はレコードからCDに移り、"もしかしたら「長距離ランナー」がCDで再発売されているかもしれない"と考えました。 転居する度に、新しいCDショップを見かける度に「長距離ランナー」を探してみるのが、私の習慣になりました。 去年10月、偶然に「長距離ランナー」がCDで再発売される予定を知りました。 数えてみると31年間も、たった一枚のアルバムを探し続けていたことになります。
角川映画「野性の証明」の影響を受けてか、町田義人といえば『戦士の休息』="男らしい"というイメージがあります。 このアルバム「長距離ランナー」は、まさにそんなイメージを裏切らない内容です。 山下啓介が書く、男らしい歌詞X町田義人 といった感じでしょうか。 町田さんの、歌手としてだけでなく作曲者としての才も垣間見ることができます。
タイトル曲になっている『長距離ランナー』では、孤高に戦う男の内面を、 『ディズニー・ギャル』では、娘を想う父親の視点を、 町田さんによる作詞作曲である『ロード32』では、己の生き様を、 のびのあるハイトーン・ボイスで、時に力強く時に優しく、うたいあげています。 映画「野性の証明」の主題歌『戦士の休息』はもちろんのこと、挿入歌の『銀河を泳げ』が収録されているのが嬉しいところです。どこか物悲しくも美しい、バラード曲です。 歌詞ブックレットが手書き文字になっていて、ちょっとこだわりを感じさせます。
しかし、町田義人が"男らしい"といったイメージは、氏の一面を言い表しただけに過ぎないと思います。 ポリドール時代など以前のアルバム(未CD化)を聞くと、町田義人が柔軟な歌唱力の持ち主であることが伺えます。 フォークからポップス・ロック、ジャジィな曲や演歌まで、ジャンルを問わず、まさに歌を自分のものとしてしまう底力には、ただ驚かされます。
映画やドラマの主題歌以外で、 町田義人という歌手をもっと知ってみたい と思われる方に、このアルバムは良いのではないでしょうか。
「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで、長いこと日本映画のテレビ放映最高視聴率記録を持っていた映画だ。公開当時、社会現象に近いくらいの騒ぎになっていて、小学生の頃、親に無理矢理起こされて見た覚えがある(苦笑)。 ゴダイゴが音楽を担当、歌って演奏もしているのだが、主題歌を歌っているのはタケカワユキヒデではない。彼が説得の末、拝み倒して連れてきたシンガー:町田義人(アニメを歌っている時は町田よしと、と表記しているあの人)である。 「拝み倒して」連れてきただけあって、雄大なスケールのテノール声が素晴らしく、主人公のキタキツネ「フレップ」の気高さを見事に歌いきっている。助監督が書いたという歌詞も、素朴だが、かっこいい。 ♪愛よ、お前は凍った心溶かす 太陽に挑む赤い狩人 炎のようさ 太陽の秘密奪う 明日は燃える ♪終わりのない旅さ 太陽がある限り走り続ける俺の 明日を照らすだろう 映画自体も「自然」の気高さを真っ正面から捉えた名作だが、音楽も負けず劣らず素晴らしい。コミカルなシーンも、雄大なシーンも、母の愛も、いずれのシーンもぴったりの曲が割り当てられていて、言葉を持たない動物たちの声を表現している。 主人公になっている雄の親キタキツネ、フレップは誇り高い性格で、絵になる。力強く家族を支える姿に、生きるとは何か、想い巡らせてしまった。 自然は厳しく、たくさん生まれた子供達の中で、生き残るのはたった1匹。最も力の強かったシリカだけである。そのシリカが、父親のフレップと再会するシーンがあるのだが、両者の微妙な性格の違いなども伺えて興味深い。キツネの人柄まで描写したカメラワークには感嘆するのみだ。
この映画は本当に「自然」なのか。
大様の部分では自然なのだろうが、疑問が浮かぶ部分も多くあることも屡。
事実この作品に出てくる7匹キツネのうち、自然の営みに勝てなかったものが2匹、人間に殺されたものは3匹だ。
しかもそれらは、客観的というには余りにも不自然な状況だった。
私はそのことに、強い怒りすら覚える。
もしこの撮影がなされなければ、或いは彼らの運命も変わっていたのかも知れない。
逆に、これこそが彼らの運命だったのかも知れないが…
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