あまりにも有名な「トキワ荘」。手塚治虫をはじめ寺田ヒロオ、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎・・・という、いづれ漫画界の巨匠といわれる「才人」たちが将来を夢見て一同に集っていたという、ある「アパート」の物語。その住人、通い人だった(今日では)ビッグネームの漫画家達が、その「青春時代」を過ごした「トキワ荘」を各々が思い入れたっぷりに描いている「トキワ荘物語集」。なるほど、話では聞いていたが、これを読むと当時のトキワ荘での様子が手に取るように分かりやすく描かれていて、あらためて、その奇跡的な才能集団に驚かせられると共に、貧しいけれど、そこには若さがあり、不安があり、仲間があり、情熱があり、そして「夢」があったんだなあという、こちらまでノスタルジックになってしまう良作品である。各々のタッチが皆、個性的で楽しく、やはりというか、先ず最初に登場する手塚治虫氏の「擬人法」で完全に「トキワ荘ワールド」に吸い込まれてしまうこと必須である。巨匠たちの描く各々の「トキワ荘」、この夢のような世界が実際に存在したのである。
著者の作品は、どうしてこう暖かいのだろう。 「背番号0」、「スポーツマン金太郎」、「暗闇五段」の三作が著者の代表作だが、それ意外にもたくさんの作品がある。 そして、どれも登場する少年たちは生き生きとしている。 生命力に満ちあふれている。
思えば、著者が最も活躍した昭和30年代は、世間はまだまだ貧しかった。 だが、大人たちには未来への希望があった。 それが、少年たちに活気、元気、生きる力を与えていた。 だから、著者の作品に登場する少年たちは、みんな明るく、そしてけっして希望を失うことがなかった。 叩かれても、最後には必ず立ち上がった。
私は著者の作品の中では、「背番号0」が大好きだ。 少年野球チームのメンバーであるゼロくんが主人公だが、野球の話ばかりではなく、友情、愛情、信頼、責任、家族、仲間といった、子供たちにとって大切なものをテーマにしている。 そして、そこに必ず暖かい大人の存在、少年たちを見守る大人の大きさが、同時に描かれている。 子供たちにとって大人は、自分たちの力の及ばないときには助けてもらい、しかし必要以上の干渉はされない、という、とっても理想の存在に描かれている。 実際に昭和30年代の大人がみんなそうだった訳ではないが、著者の理想とする大人と子供の関係、あるべき大人と子供の姿が描かれていたのだと思う。 それは、「スポーツマン金太郎」に登場するプロ野球関係者やマスコミ関係者でも同じだ。
今、改めて著者の作品を読み返して、私ははたして、そういう大人になったのだろうかと考えてしまった。 子供たちが、自分もああいう大人になりたい、と思うような大人が少なくなり、世の中から未来への希望がなくなったため、著者は作品を発表しなくなったのかもしれない。 大人がしっかりすれば、子供たちもキチンと成長する、というのが、著者が作品に込めたメッセージなのかもしれない。
さて、「暗闇五段」だけは青年が主人公だ。 結構な長編であり、かつて若き千葉真一主演でテレビドラマ化もされた作品である。 私は幼い頃に、ドラマ版をリアルタイムで見ている。 千葉氏主演のドラマとしては「七色仮面」や「アラーの使者」のようなヒーローものとは異なり、かなりヒューマンドラマだったことが、氏の役者としての成長に役立ったのではないかと思う。 これもまた、心温まる良い作品である。
今の時代では、著者の作品は古くさいだろう。 説教くさいと感じるひともいるかもしれない。 しかし、こういう良い作品は、子供たちに必ず良い影響を与えるはずである。 どんな時代でも、子供たちの心には変わりはない。 だから今、こういう作品をもっともっと読みたい、いや、子供たちに読ませたいと、願うものである。
子供の頃に「まんが道」を読んで「テラさんが頼りになる兄貴分」という印象は持っていたが、不思議な事にその著作は目にした事が無かった。10年位前に田舎の書店で偶然見かけた復刻本を買いそびれ、そのまま月日が過ぎ。
映画「トキワ荘の青春」で本木雅弘が演じた寺田ヒロオは、劇画ブームの波が押し寄せ、自分のポジションを失っていく姿を残している。
時代にマッチしないマンガとはどんな物なのか?僕は少年マンガの原点を、この復刻本に見た。
昔、懐かしい本の復刻版を、売っていただき、大変感謝しております。
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