冒頭の1ページを読んで、何か感じるものがない人が読むとひどく退屈で、長ったらしい(冗長な)文章の羅列に辟易するでしょう。私はとてもすてきな本だと思います。自分にしかわからない世の中との「ずれた」感覚や、他人から見たら「うまく行ってるのに、なにが不満なの?」とも思える境遇にいる人が、内包する孤独感など。順風満帆で上手く行ってる人より、ちょっとめげて、あるいはちょっと疲れて一休みしたい人向けの本だと思います。
「夜と霧」。これはナチス政権下のドイツで’41年に出された特別命令で、非ドイツ国民で国家に対する犯罪容疑者は、夜間秘密裡に逮捕して強制収容所におくりこみ、その安否や居所を家族親戚にも知らせないというものである。後には家族の集団責任という解釈がなされ、政治犯容疑者が家族もろとも一夜にして消え失せることになる。そして、この命令が、ナチスの本質をあらわす強制収容所での出来事を象徴しているということで、強制収容所での体験を描いたフランクルの作品の日本での題名「夜と霧」になっている。
北杜夫の「夜と霧の隅で」は、夜と霧命令による嵐が吹き荒れる中で決定した、不治の精神病患者に対して実施される安死術に抵抗して、あらゆる治療を試みる医師達の姿を描いた作品である。
ナチス政権下のドイツにおいてその抵抗は無意味である。それは、彼らにも解り切っていることである。それでも、彼らはあらゆることを試みる。それは、医師としての使命感なのか、人間としての使命感なのか、人間の尊厳とは何か…。透明感のある著者の文章が、この作品を、より暗く、より重たくしているのではとさえ思える。
北杜夫の作品にはユーモアと叙情性が溢れるものが多く、本作のような、明らかに暗く重たいテーマを持った作品はあまりない(数少ない中に“こども「黄いろい船所収」”という作品がある)。しかし、これも北杜夫なのである。
道化師の蝶だけでのレビューになりますが、個人的にはこの作品は神話=言葉が 生成される、その偶然性をひたすらに扱ったような小説だと思いました。 もちろんここで言う生成とは、 完成など無くてひたすらその過程の中にいるというような作中の台詞が指すように、 素材の集まりやコードの置換、変換、人称性の薄れ、音の連なりや意味の消失など 様々な事象が幾度となくほつれたり、 また再び縫いあげられたりという終わりの無いうねりのことだと思います。 ラストの方に挿入されたいくつもの蝶が粉々にされるシーンは、 そうした偶然性が人為によってすり減り、 輝きを失ってしまうような瞬間を示唆しているようにも思えました。 この本についてボルヘス的という意見を何度か見ましたが、 この本を読んだときにはやはり現代思想的、もっと言えば記号論的に作られ、 寓話化された世界観という印象を受けました。 そういう意味では幻想小説に近いのだろうかと思いますが、 わたし自身SFは恥ずかしながらあまり読まないので、 著者がSF畑の人だと言われても正直この作品だけではよくわかりませんでした。 また、数学的という言葉については、私自身全くに暗い分野ですので、 この小説が、そうした考え方で成り立っているのかどうかは全く判断がつきません。 そうした点はともかくとして、個人的には芥川賞にふさわしい小説だと思いますが、 個人的には同じ論考をするならばアサッテの人のように、 内面に入りこむような小説の方が好きなので私の嗜好とは少し合いませんでした。
まさかの「ゴジラ」のテーマで幕明けです。伊福部音楽も大好きな自分にとっては嬉しいプレゼントのようで、この続・三丁目〜のアルバムに入っているということに価値があると勝手に思っています。まったく同じではなく本家より軽快なオーケストラで佐藤氏らしさが出ているのが絶妙。
もちろんあの泣けるテーマ曲も健在。楽器もいろんなアレンジがされています。
そして特に後半18.「指輪(本当に泣ける)」、19.「嘘」、20.「踊り子」、21.「再会」、22.「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は泣ける曲怒濤のなだれ込みでおなじみのメロディ+新メロディの編曲がとても新鮮で素晴らしい!ポロポロ涙が止まらず、ぞわ〜っと鳥肌が立ってしまいました。
全体的には前作より静かな印象かもしれません。
まだ作品は見てませんが絵が勝手に頭に浮かんでしまいます。自分の想像を超えていることを願い、又、楽しみにしたいと思います。
文庫になって早速買いました。すごい。ぐいぐい読めました。 感動させられたりはっとさせられるときって、書き手の読者への裏切りかたがどこか冷たかったり鋭く感じたりするものですが、 これは素直な描写で淡々と書かれているおかげで、おっかなびっくりさせられることなく自然なリズムで読んでいけました。 なのに、泣けてくるのです。その感情は、実際私が今まで感じたことのある気持ち(家族とのいざこざだったり、気持ちのすれ違いだったり。) にすごく近くて、本当なのです。だから作者は女の人だと思っていたら二度びっくり。なんでこんなに女の人の気持ちが分かるのでしょう。 1970年代前半うまれの読者にはなつかしいいろいろなグッツが出てくるあたりも、リラックスさせる一因かも。 芥川賞を受賞した表題作も良いですが、私は「サイドカーに犬」が好きです。 読み進むのがもったいなくなるくらい、私にとっては面白い本でした。長嶋さんのほかの作品も読もうと思います。
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