社長×社員というと、攻の社長が一目ぼれでぐいぐい迫るっていう設定が多いのですが、これは一味違います。ゲイだけど、遊びで肉体関係になりたくないばかりに25歳まで童貞だった瑞貴は、入社試験の面接で社長の日下部にひとめぼれ!だからといって何か行動に移すわけではなく、ただ憧れているだけだったのに、先輩の高山に童貞であることをからかわれているのを聞かれてしまい大ショック。その時に瑞貴が落としたメガネを日下部が踏んで壊してしまったことから、二人の関係がスタートします。メガネを弁償しようと一緒に食事に行き、初めは日下部にはまったくその気がなく、天然で粗忽な瑞貴の行動に興味があっただけなんですが、酔っぱらって寝てしまった瑞貴の乳首にそそられてしまい・・・
何といっても瑞貴のテンポのいいセリフがいいし、天然でかわいい!
「清らかなまま死んで天使になる」とか「めくるめく官能の夜を経験してみたい」とか、
好きな料理を聞かれれば「ウインナです!」と答えるし、高山を「水虫だっていいふらす」と言っておどしたり・・さらには妄想をめぐらして「自分が二股をかけることになったらどうしてくれるんだ」と悩んだり、社長の日下部に缶詰のビーフシチューを食べさせるし・・
それに振り回される日下部も、ひょうひょうとしていて面白い。ホントに笑えます!
瑞貴の妄想につきあってやれるのは日下部だからこそでしょう!
ニヤニヤしながら、読み返しちゃいました。
有名かついつの時代も人々をときめかせる最高のクリスマスソングです。 これほどのクリスマスの名曲は最近はなかなかありません。彼女のパワフルな歌い方と、リズミカルな音楽すべてがクリスマスを盛り上げる最高の一曲に仕立て上げています。
tsubourさんも書いているように、本当に少し聴いただけでは分からない作品だと思います。
私も初めて聴いた時は、メロディーやアレンジに古臭さを感じさせるような、
今までのlampとは明らかに違う作風に戸惑いを禁じ得ませんでした。
しかし何度も聴くことで、その古臭さはあくまで表層に過ぎず、その裏に込められた非常に穏やかな美しさに気づくことができました。
そして不思議なことに、最初はネガティブな意味での捉え方だった「古臭さ」が
ポジティブな意味での「ノスタルジー」へと変わっていきました。
現代の作品で、いわゆる昭和歌謡リスペクトな作品ではなく、むしろそれら以上に
ここまでの雰囲気を出せているのは素晴らしいと思います。
個人的には「日本少年の夏」が大好きです。
想像もつかないようなタイトルですが、まさに穏やかで美しい曲だと思います。
トリュフォーは音楽の使い方にはかなりこだわりをもっていた。 際立って正統なスコアを書くことで知られるドルリューの音楽が このCDの多くを占めているが、音楽は映画から独立してはならない というトリュフォーの考えを感じることはできるだろうか。 個人的に気に入っている「恋のエチュード」からは4曲が収録されたが、 主人公3人が雨よけのために洞窟のなかで「レモン絞り?」をするシーンに 流れた曲が入ってなくて少しがっかり・・・。しかし、メインテーマにあたる 曲はほとんど網羅されているから、トリュフォー映画好きの方にはいいかも。
昭和50年代、ドイツ駐在の二人の商社員が「発見した」エリーゼ・ヴィーゲルトは、金髪の乙女ではなく、ユダヤ系の年上の人妻であった。成瀬正勝の「舞姫論」に始まり、竹盛天雄の「石黒日記解読」から始まった「エリーゼ追跡」は、アサヒテレビ「百年の恋」で意外な展開を見せた。「エリーゼ」は、シュナイダー商会の三十代のユダヤ系の女性だというのである。ベルリンの「鴎外記念館」理事、ベアーテ・ヴェーバー女史は、積極的にこの「人妻説」支持したが、女史の日本での講演は雑誌「鴎外」による熱烈な鴎外マニアの反発もかった。 ベルリンで女史から直接話を伺う機会もあった評者は、千駄木の「鴎外記念館」で「エリーゼ」が鴎外に贈った「モノグラム」を見て、その精緻さと丁寧さに心打たれた。それは、まさしく東洋の若い留学生に憧れ、結婚の約束を信じ、高価な一等切符でかけつけた乙女のものと思われたのである。しかし、どのような研究書を読もうとも、もはや、この謎を解き明かすことは不可能と思われた。 評者の個人的心証で言えば、「エリーゼ」は、鴎外の母、峰子を思わせるような、凛とした、勝ち気な、しっかりものの娘であるはずだった。これは、鴎外がふと漏らした一言を知る家族の手記と、短編「最後の一句」の「いち」という少女の面影と重なるものである。 2000年、法学者、植木哲氏の「新説 鴎外の恋人エリス」(新潮選書)が発表されると、状況は一変した。植木氏は「エリス」を追跡してついに「ルィーゼ・ヴィーゲルト」までたどりついたのである。これは、ベルリンの古い土地登記簿にあたる地道な調査の成果であった。 今野勉氏のこの本は、これらの様々な謎をほぼ解き明かしてくれるように思える。つまり、一定の合理的な解釈と説明を試みられており、基本的にうなずけるものである。また、三十年以上の時間をかけてこの問題をあたためてきた著者の誠実さにも、感動すべきものがある。 しかし、この書物の刊行直後、六草いちか氏により、もう一つの「エリーゼ像」が提示された。六草氏の研究も説得力のあるものであり、何より、15、6歳の「エリーゼ」が現実的なのか、という根本的な問いかけがある。 アマゾンのレビューは、六草いちか氏の研究を画期的と捉えるものが多い。しかし、評者は「ちょっと、待って欲しい」と感じている。特に、「舞姫」と「エリス」の混同は避けなければならない。比較文学論的に言えば、「舞姫」は「貴公子と町娘の悲恋」といったパターンで作られた作品である。「太田豊太郎」も、もちろん「鴎外」ではない。森林太郎本人でなければ分からないことも多く、結論は出せないのである。
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