MLBを含む有名投手の分析から投げ方、トレーニング方法、稲尾さんが語るピッチング、スポーツバイオメカニズムから学ぶピッチング、150キロ投げるためのトレーニング、食生活改善などとても興味深い内容ばかりです。
これは、伝説の「鉄腕」稲尾和久氏の自叙伝(日経新聞のシリーズ「私の履歴書」)
というカタチを借りた、昭和30年代の熱きニホンの記録だと思います。
プロ野球、野武士軍団西鉄ライオンズで数々の「クレージー」な記録を打ち立てた
鉄腕投手が、九州の漁村から、何も判らず福岡に出、豪快で個性的な同僚、ライバルと
切磋琢磨していく姿、そしてそれを取り囲む世情、ファン、昭和の熱気・・・朴訥とした
筆致の中でも伝わる「熱いもの」を、今正に自分自身が失っている、と感じさせられ
ました。
元気をなくした人、ちょっと悩んでいる人、そんな人にも元気と熱い心を持たせて
くれる・・・それに、小賢しい人生訓も何もないので、読み易い本ではないでしょうか。
日経ビジネス人文庫「人から見た昭和史:シリーズ・私の履歴書」の1冊。
収録されているのは鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄、稲尾和久。4人とも興味深い内容だが川上哲治は書かれた時期が監督辞任直後なのでやや物足りないし、稲尾和久(彼を伝説の名将という括りで取り上げるのはちょっと不適当)は単独で文庫版が出ている。というわけでより面白かったのは鶴岡と西本の分。
1946年から1968年まで南海ホークス(前身のグレートリング時代も含む)一筋23シーズン、日本プロ野球歴代最多の1773勝を挙げた鶴岡一人(1916〜2000)。1952年までは選手兼任で内野手としても大活躍した。
戦後の混乱期には食料の確保、八百長対策、選手の女性問題の処理などグラウンド外でも奔走したことが綴られており現在では想像つかない性質の苦労がしのばれる。またドラフト制度実施前の熾烈な新人獲得競争や引き抜きにまつわるエピソードはなかなか生々しい。一方1959年日本シリーズ制覇と「御堂筋パレード」の項は胸を熱くさせる。
ちなみに鶴岡は外国人選手が入団すると彼らを御座敷天ぷらに招いたという。現在でも天ぷらは外国人が最も喜ぶ和食の一つ。恐らく半世紀近く前の助っ人たちも手厚いもてなしに心動かされたはず。
1960年から1981年にかけて大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄の3球団で監督を務めた西本幸雄(1920〜)。3球団で計8回パ・リーグ優勝したが日本一はいずれも逃して「悲運の名将」と呼ばれた。しかし西本はこの呼び方を嫌い「野球人として最高の名誉の場に8度も出ることができたのだから、この上なく運がよかったと感じている」と書く。強がりともとれるが2リーグ分立以後3球団から日本シリーズ出場を果たした監督は西本だけだから確かに「幸運」、というより優れた手腕の持ち主。
スパルタのイメージがある西本だが文章を通じて見えるのは厳しい一方で選手と誠実に向き合い、特徴を尊重して伸ばす指導姿勢。だからこそ3球団を優勝させたのだ。とりわけ阪急と近鉄では福本豊、加藤英司、山田久志、梨田昌崇などたくさんの選手を育て上げてそれぞれのチームを初優勝に導いた。弱かったチームを自ら鍛えた選手により強くして優勝まで率いるというのは至難の業。それを2球団で果たした西本はやはり「幸運」かもしれない。
これだけの記録と記憶をファンに残した大投手がここまで謙虚なことが素晴らしいと思う。まさに、野球界のサムライだろう。お父さんが一徹の漁師さんで、お酒が入ると「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」をいつも胸に刻まれていたという。
この本は、大投手・稲尾和久さんのことはもちろんだが、当時の西鉄ライオンズを教えてくれる、西日本新聞ならではの内容である。昭和33年の西日本スポーツがついているのも非常に面白い試みだ。当時のインタビューや西鉄ライオンズが歴史を刻んだ平和台球場、そして当時の福岡の街の空気などが写真からも伝わってくる。貴重な本として大切にしたい。
「身体能力」ではなく「身体脳力」とのこと。
で、期待していたのですが、
新書+対談なので仕方ない面もあるでしょうけど
各項目が短く浅くで食い足りないなあ(^^;)。
目新しかったのは
三沢光晴社長の「本当の死因は何か?」の項くらいです。
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