ビゼー 「アルルの女」&「カルメン」組曲 / SACD
1964年のLP初発売以来一度もカタログから消えたことの無い名盤が高音質で蘇りました。演奏については過去から多く語られているので省略します。CDの乾いた密度の薄い音質への不満がSACD化で解消されました。各楽器の解像度は明晰でVnも艶やかに響きます。木管もしっとりした味わいでしみじみと心に響いてきます。フォルテシモでの音の混濁もなく、LP以来久しぶりに不満なく鑑賞できました。
ポンキッキーズ21 キーズラインダンス [DVD]
高校での文化祭のステージ発表のために購入しました。どれもかわいくて何度見ても楽しいダンスです。いろいろ参考にして、オリジナルのダンスを考えました。大成功でした。音楽もよかったです。
高峰秀子
最近では「高峰秀子」と言うと「高峰三枝子?」と勘違いされるほど知る人が少なくなってきました。
その理由は見事な引き際にあったのではないでしょうか。
「二十四の瞳」の優しくて凛とした大石先生や「カルメン故郷に帰る」の純粋で憎めないおりん。
「名も無く貧しく美しく」の健気に生きる秋子。どの高峰秀子にも感じ知ることのなかった才能豊かな
随筆家(エッセイスト)としての側面を、変化の激しかった戦前戦後の日本映画界の歩みを豊かな表現と
鋭い感性とユーモアで表現していく姿に感動を超えてただ感心するばかりです。
余談ですが、表紙の写真は木村伊兵衛の作品です。撮られた時のことを高峰さんは「助手も連れて
こられなくて一人で来られました。ポケットからカメラ(ライカ)を取り出すと2,3枚とってさっと
帰られました。仕上がった写真を見ると見たこともない美しい女性が写っている。こういう人を
女たらしって言うんでしょうね」とおっしゃっていました。高峰さんは本当に人を見る目があった
のだと感じさせられます。
神経衰弱ぎりぎりの女たち [VHS]
アルモドバルの名前を挙げると私のスペイン人の友人は、「ああ、あのマリコン(オカマ)ね」と小ばかにしたように顔をしかめます。最新作の「トーク・トゥ・ハー」も気に入らなかったといいます。しかしその彼女ですら、「神経衰弱ぎりぎりの女たち」は「Me gusta.(面白かった)」と素直に認めていました。
あくの強い映画を作ってきたアルモドバル監督の作品群の中では、この一本は最も分かりやすいと感じることができるコメディ映画です。
不倫相手が疎遠になってきたことに苛立ちを覚えるペパ。そのペパのもとへ不倫相手の正妻や、テロリスト事件にかかわってしまった友人など、ひとクセもふたクセもある登場人物たちがかかわってきます。
ドタバタコメディの部類ではあるのですが、この映画を何度も見直すうちに、実はこれはペパの言い知れぬ孤独感を笑いというオブラートに包んで私たちに提示している物語だということに気づきました。ペパをめぐる一連の騒動の末に、彼女のもとに残ったものが何かということに思いを馳せると彼女の寂寥感がより鮮明に感じられるのではないでしょうか。
そして私は彼女の心に自分の心を重ねて、何かぽっかりと穴の開いたような欠落感を否定することが出来なかったのです。
それでも彼女は明日も自分のアパートから朝日が昇るのを見るでしょう。人生はリセットはきかないけれど、今日までの出来事をバネにするだけの力がペパにはあるに違いないという気にさせてくれます。エンディングはとても爽快感のあるものだと私は考えるのです。
パリ、夜は眠らない。 [VHS]
NYのハーレムクラブ「ボール」と呼ばれるクラブでゲイ・コンテストに
これでもか、これでもかというくらいの気合い、ファッション、ダンスで
ファッションショーに挑む下層社会に生きるゲイの生活を描いたドキュメンタリー。
本当に出てくる人、ほとんどが口を揃えて、夢みるように
「有名になって、お金持ちになって、それから…」
みたいなシーンが連続して映し出される。
ひたすらそれを夢見てる。ひたすら、ひたすら。
でもファッションショーって本当にそういった
夢や希望の入り口にも似た場所なんだと思った。
だからこそ、その夢の中に生きたくて、生きていたくて
ありったけのお金を叩いてドレスにつぎこみ
背筋をピン!と伸ばしてランウェイを歩く姿は本当に圧巻です。
ファッションショーはつまりはこういうことだったんだと思い知らされる。
シーンの中でも、ゲイとバレないように、完璧に演じきる
っていうテーマのショーがあるのですが、
その隠された気持ち、隠れて生きなきゃいけない大変さを
生で本当に感じた。ゲイの人は底抜けに明るく見えるけど
この場面は本当に本音が見える印象的なシーンです。
是非中古でもいいので見ることをおすすめします。