大漢和辞典を作った諸橋轍次と大修館書店の創業者・鈴木一平の物語。映画化された小説「舟を編む」も辞書作りのお話ですが、こちらはノンフィクション。小学校高学年から読める書き方ですが、熱い思いに泣けます。
この作品の脚本家・城のぼるはどの検索で調べてもこの「刀を抜いて」しか出てきません。 でも実はこの城のぼるは故・岡本喜八監督のペンネームです。 東宝の次郎長三国志シリーズで故・マキノ雅広監督に助監督でついた岡本監督が師匠のために会社を飛び越えて協力したコラボレーションなのです。 残念ながら岡本監督は生前あまりそれを公言しませんでしたが、これは紛れも無い事実でこの作品を楽しむ一要素になるでしょう。 岡本監督はこれで九ちゃんを気に入り後の作品でお婆さんの役で起用しました。 ぜひ広がる喜八ワールドを楽しんで下さい。
漫文とは、今に直すとマンガ家やイラストレーターが
日常を独自の観察眼で切り取るエッセイに近いと思いました。
岡本一平さんの挿し絵を観る事は明治、大正という時代の世界を覗きこむ楽しさがあります。
それは竹久夢二のようなロマンチックで叙情的な世界とはまた異なり、
長閑でのんきさを持った空気を持っています。
江戸時代の広重的なタッチや、ヨーロッパの後期印象派の画家の描く素描のような素朴さも感じさせます。
イラストレーションとなると、戦後から評価する事が一般的となってる所はありますが、
今にないタッチではありがなら、表現力として面白く新しさまで感じさせてしまう部分が多くあります。
和筆の大胆な線と細いインクペンの併用や、白黒という2色だけの中で、
黒の色面を効かして画面を引き締める潔さなどが印象に残りました。
絵もさることながら、夏目漱石が「文章が絵よりも優れていることがある」と評した通り、
文章のリズム感、ユーモアに作家の性格が表れていて読んでいて自然と笑みがこぼれます。
街中の人間同士のやりとり、政治家、作家に至るまで皮肉を込める事はありながらも悲観的な描写はなく、
その根本に人間への愛らしさを陽性な一平さんは持っていると感じました。
大漢和辞典というすごい辞書を30年かけ、戦火で版が燃えてしまうなど、多くの試練を乗り越えて作り上げていく諸橋先生と鈴木一平社長、その家族、日本人の本当の力がここにあるような気がします。あらためて、推薦図書として子どもに読ませたいです。
岡本太郎のドラマが放送され、毎週はまって観ているが、父母の一平・かの子についての知識がなかったので、興味がわいて読んでみた。
ドラマ以上の一風変わった夫婦・親子関係と、壮絶な日々を送っていた事に驚く。
本書は、岡本太郎が生前に、各雑誌・新聞で父母について書いたものを集めた一冊。
巻末の初出一覧で見ても、各年代にわたって相当数の書籍に掲載されたので、重複して描かれている部分がいくつかあり、その点で★4にした。
私が、岡本太郎を知ったのは、大阪万博の頃。
それ以降、TV、CMに頻繁に出演していた岡本太郎の印象は「ものすごく変わった人」。
しかし、本書を読むと、それほど変わった人ではなかったように思えた。
子供の時に何度も学校を転校しており、大人の欺瞞や矛盾を許せない純粋さは、母親譲りだったと見受けられる。
太郎が語る母・かの子は、童女のように純粋で芸術に熱く生きる人、実生活を営む能力は全く欠けていて、外界からの誹謗中傷にいつも傷ついていた人。
父・一平は、妻・かの子が芸術に心底力を注げるように、慈父のごとき愛で支えた人。
一平がかの子を支えていく決心をしてからは、一般的な夫婦生活とは異なる道を歩んだ点にも驚いた。
太郎が父母に感謝している事は、世間一般の父母としては二人とも失格だが、常に同等の友人のように扱ってくれた点だと記している。
また、母が亡き後に、父が再婚した継母と腹違いの弟達の生活を、戦後、太郎が支えたという点は初めて知った事。
太郎が「誤解のカタマリみたいな人間こそ、すばらしい。純粋であり、純粋だから誤解される」と、母を論じた一節が心に残った。
一平、かの子の写真、作品の写真等も、多く掲載されている。
|