「行雲流水録」なる時評エッセイをまとめたもの。 『橋本治という行き方』、『橋本治という考え方』に続く三冊目。 雑誌「一冊の本」2008年10月号〜2012年4月号に連載されたもので、つまりは政権交代から東日本大震災までを含む時評になるが、最も印象に残るのはその間に著者にふりかかった東京都指定の「難病」である。 病気にかかって4か月の入院と、完治しない病のために退院後も闘病生活を余儀なくされている著者の筆は、しばしば不安定になる(かのように見える)。「かなりの鬱状態」と著者は記すが、著者の若い頃のエッセイは「かなりの躁状態」とも言えるようなものなので、その落差に驚く。 単行本化にあたり掲載順を並べかえたとあるが、できれば掲載順どおりに読んでみたかった。せめて掲載月の表記はほしい。 大震災のパニックの原因を「罪悪感」と指摘するあたり、橋本治は病気で倒れてもやはり橋本治であると感心する。
この映画に向かない人は、以下のとおりです。
・現実に有り得ないシチュエーションが出てくると怒る人
(劇中での例:操縦を誤ったセスナ機が高速道路のトンネルを通過)
・くだらないことが画面に出てくると怒る人
(劇中での例:他人の飲み物にフケや鼻くそを入れる、脚立に上った女性の
スカートの中を覗く、火傷を放尿で治そうとする・・全部千葉真一がやります)
・千葉真一が嫌いな人
上記の注意事項をクリアしてこの映画を楽しめる人、
あなたはそれだけで映画の女神から祝福されている幸福な方です。
さて、この映画をバカ映画というのには賛同できません。
バカなことをやっているからバカ映画、では監督やスタッフ、キャストに対して
あまりにも失礼です。バカなことを一所懸命やるのは知的な営為です。
バカ映画とは、このくらいやってりゃウケるだろ的な製作側の不誠実さが透ける映画、
ただ程度の低いことを漫然とやっているだけの映画、制作者のIQを疑うような映画、
そんなときにこそ思い切り使用すべき呼称でしょう。
1990年5月発売のCDで、合唱隊という若き声楽集団のデビュー・アルバムです。CDラックの奥から引っ張り出して聴いています。廃盤は仕方がないのですが、選曲もアレンジも演奏も素晴らしいので、どこかで再発売されても売れると思います。現に中古市場では相当な価値があるのですから。
曲目を見てもらえればすぐに理解できますが、1960年代の和製ポップス、当時は歌謡曲と言っていましたが、そのジャンルの中から若者たちに支持されたヒット曲ばかりを合唱にアレンジしています。 グループサウンズも正統派のベルカントで聴きますと格調高くなります。勿論それがねらいですし、面白い試みは上手くいっています。途中、クラシック音楽の一節が挿入されるなどアレンジの妙も楽しめます。フォーレのレクイエムの冒頭部分からフォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」につながる編曲は笑わせてもらいました。「亜麻色の髪の乙女」も当然ドビュッシーからスタートしています。
題名のない音楽会でユニークな役目を果たしている青島広志が全曲の編曲・指揮そしてピアノ(2曲)に関わっています。12人の編成のアンサンブル1960が伴奏を務めます。ピアノは、様々な演奏活動の場で活躍しているフェビアン・レザ・パネでした。
合唱隊は、ソプラノ、アルト、テノール、バス各パート2人ずつの編成です。若き声楽家集団といいましたが、ソプラノに澤畑恵美さんが参加していたのですね、これには驚きました。他のメンバーもその後クラシックを中心に様々な音楽ジャンルで活躍されています。当然、アンサンブルの力量は圧倒的な凄みをもって伝わってきます。豊かな声量と伸びやかな発声ですので、心地よいハーモニーとなってかえってきました。
ラカンの提示する「構造」解釈の論理モデルへの評価とそのスタティックな限界を超えるための「力」に言及し、ドウルーズ=ガタリ論へと進展する内容は現在でも参照に値するだろう。また実際にラカンを超える可能性として示されるのはマルクス・ニーチェ・フロイトであり、ラカンの主張するフロイトへの回帰をあわせて考えると、新しい展開が何もなされていない寒々とした現在が照らし出される。「記号論を超えて」というサブタイトルのとおり構造主義への始末はつけられているが、ここでも読者は何ができるのか?と問われているのではないだろうか。ある種の原点としてまだまだ読まれていく価値があるだろう。
ゴミ屋敷の主、下山忠市。戦争が終った時、彼は国民学校の高等科1年生――つまり、後の中学1年生だった。戦後の日本をただ黙々と働き生きた男が何を得て、そして何を失ったのか。あるいは何を思い、何を忘れたのか。ゴミとは彼にとって何なのか。橋本治が昭和の日本(人)の在り方を問う。
こういう話が読みたかった。戦争に彩られた時代を、何事もなく通り過ぎた人というのも確実に存在していた/いるはずなのだ。そうやって昭和を生きた人の姿が描かれることは少ない(と思う)。橋本治の言う「思想の無い人」にとっての昭和とはどういう時代だったのか。橋本治が明快な論理で”もやもや”を提示している。
橋本治は創作・評論を問わず独自の論理を用いる。後者においては、橋本治は彼(の肉体)が理解していることを説明し、前者においては問いの形を説明する。小説における過剰な説明文の存在を疎ましく感じる人にとって、だから橋本治の小説は煩わしい読み物であるのかもしれない。隣に座る演出家から解説を受けながら芝居を観ているような気になることは確かである。そうしてなおその形を留める巨大な”もやもや”がある。 それは昭和の日本に根づいた”もやもや”ではあるが、時代の変遷とともに再び生まれるであろう性質を持った、答えの無い問いであるとも言える。
ちなみに主人公である下山忠市の生れは昭和7年か8年、橋本治は昭和23年生れ、装幀を担当した平野甲賀は昭和3年生れだ。
|