この数年間に書かれたエッセイが33編。食べ物、食べることを巡る記憶の物語だ。若い頃に原稿書きで長居した神保町の喫茶店とか・・・。当時働いていた女性との再会などはまるで掌編小説を思わせる。かつて、“おまえ、小説を書けよ”と背中を押してくれたコミさん(田中小実昌)も登場、2人で新宿ゴールデン街を朝まで飲み歩く話は楽しい。 紫煙と珈琲の香りを感じさせる一冊。 好いね〜
安田南といえば1971年中津川フォーク・ジャンボリーの顛末が有名だが、そのイメージのみが先行し、 本来の「歌手・安田南」の存在が語られる機会は殆ど無かったように思う。本作はそんな彼女を知るための抜群のテキストであろう。 彼女のヴォーカルは安易に聴衆を寄せ付けない独特のオーラがあり、歌唱の手法から「下手」に聴こえてしまうが、その認識は誤りだ。 他者を寄せ付けない解釈、唱法。その座標軸は吉田美奈子や浅川マキのものに近い。何か特定のジャンルで括る事が不可能なのだ。 殊に本作は全曲オリジナル。 バックを松岡直也、村上秀一、大村憲司、小原 礼、高水健司、秋山一将らがガッチリ固め卓越した世界を創り上げている。 本作のCD化を機に「歌手・安田南」にスポットが当れば、と祈る。
帯に「食の個人史」というフレーズがあるが
1940年生まれの片岡義男さんが
スパゲッティ・ナポリタンを通して
戦後昭和から今日の時代までを読み解いている。
ネーミング、調理法、社会学的なアプローチ、体験談など
多角的な切り口で、かつ、
論点があまり多岐に拡散しないよう注意しながら
見事に一冊の本にまとめている。
私は60年代生まれではあるが、
ナポリタンへの思いや体験はかなりの部分で重なり合う。
バブル経済崩壊後に青春時代を送った読者にとっても
食を通じて昭和を追体験できる恰好の資料ではないか。
本書は発刊された直後に読了していたのだが、
東日本大震災を機に、
戦後日本が歩んだ高度経済成長の時代に絡んだ
本書を読み返した次第である。
7つの短編小説はすべて「偶然」から始まる。けれども、そこに「作者の都合」とか「わざとらしさ」を感じることはみじんもなく、ほんとうに上手に独特の「片岡ワールド」に引き込こまれて、あっという間の読了となる。
いつもの「ありそうでない」場所で「いそうでいない」人たちの会話の見事さとそのセンスの良さ、価値観、時間感覚などまさにこの作者でしか描ききれない世界が生まれている。
これは文庫になるまでまで待たずに単行本で即買いする価値アリ、です。
とても懐かしく とてもくさい演技
だけどオートバイの良さが 出ていてクルマでは味わえない 世界があります。
デジタル・リマスター版DVDでの 発売に感謝します。
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