なんと30年近くも前の作品ですが、今見てもびっくりする程濃い映画です。
アメリカの陪審制の映画ほどドラマチックではないものの裁判官役の佐分利信、検事役の芦田伸介、そして弁護士役の丹波哲郎(迫力ありますねー)がいい味出してます。このかけあいは見事です。
その上に、どろどろした人間関係が、オーバーラップしています。いわゆる社会派映画と人間映画の2層構造です。
一見やくざな松坂慶子や渡瀬恒彦の方が、うぶそうな永瀬敏行や大竹しのぶよりも純情なところが、人間性を見せています。
自信をもってお勧めできる日本映画の一つです。
「飢餓に苦しむ彼らは“猿”と称して、味方の兵士を殺し、その肉を食べていた・・・。」
というような、あらすじを読めばおどろおどろしく聞こえるが、ひどくグロテスクな場面は描いていない。
しかし、飢えでもうろうと歩き、爆撃で虫けらのように死んで行く兵隊達の姿は、もう動物以下の、人としての尊厳を剥奪された姿だ。
その大地に散らばったたくさんの屍の泥沼の世界の上を、辛うじて命が残って歩く兵士たちの亡霊のような足取り。
人間であるという最低限の存在感さえ希薄で死んだかのようだ。
日本の一部の政治家や勇ましさが好きなマッチョマニアなどは、戦争の一面だけをより強く見ていないだろうかと、ふと思う。
特攻隊の話の映画は子供の時ぼくも観たことがあった。
誤解を恐れずいえば、子供心にも精神的な美が感じられた。綺麗すぎる。
彼らも「野火」を観るべきだと思う。
これも多くの死んだ人や生き残った人の味わった、戦争のなかで起きる人間の尊厳剥奪されたリアルな姿だからだ。
映画の主人公は、野火の煙りを見て「普通の生活をしている人に会いたい、そこへ行きたいと思ったのです」と煙りの方へ歩いて行く。
太平洋戦争の末期、名古屋空襲に飛来した数百機のB29のうちの何機かが打ち落とされ、落下傘で脱出、捕虜となるが現地日本軍の判断で略式裁判後、処刑された。 戦後、GHQの戦争犯罪人の裁判でその責任者である岡田中将(藤田まこと)が被告人として裁かれる。
劇中のほとんどは裁判のシーンであり、論点は、弁護側は軍事拠点以外を攻撃するのは国際法に違反するという一方、検察側は、国際法は認めるがパイロットなどの現場の兵士に直接の責任はなく公式な裁判をせず中将の勝手な判断で死刑に処したことを責める。
藤田まことはこの作品が遺作になったということだが、敗戦国の将として敵に裁かれるといった状況にありながらその姿勢はきわめて落ち着いたものであり、どうせ敵の都合のいいように裁かれるのだから命を請うことは最初から考えておらず、武士として自分が下した命令の全ての責任は負うものの、自分の判断が間違ってはいないことは論理的に訴え、法戦という名の元に、自分の正しさを真っ向から裁判官へむかって説く。
こういった作品はえてして外国人の演技が非常につたないものだが、この作品に関して言えばたしかに無名の俳優をつかっているとはいえ、弁護側、検察側ともとても心のこもったそして熱意のはいった演技をみせている。
「いわずともその態度でわかってもらえる」という日本の文化が作品に流れているので、大声でバンバン訴えないと通じないアメリカ人相手にこれがどれだけリアリズムがあるのかは疑問だ。藤田まことが仏教の概念などを説くシーンがあったが、リアリティで言うなら戦勝国のアメリカの軍人がこんな戯言に一秒でも耳をかたむけたとは思えない。
岡田中将の部下の男達は非常に岡田を尊敬していて、全員素っ裸で狭い風呂にはいって背中を流し合いながらふるさとの唄を歌うシーンはとても感慨深い。
戦時中の人々はストイックにいきていたのでしょうか、本作を読むとそんなことないことが解ります。全体主義が行き渡り、画一的な世界や心情が広がっていたか、というとそうではないのですね。当たり前ですね、いろいろな人がいますから当然、いろいろな行動があるはずです。いろいろな人がいるから、当然いろいろな思いがあるはずです。
いままで描かれている戦時中の話よりももっと現実的で、安心しました。ということは現代社会で問題になっている「あの国」もきっと、報道には現れない側面を持っているんだな、と直感的に思います。
今年も終戦記念日を前に、この小説について考えてみたいと思う。
物語の主人公である田村は、本体を追放され、フィリピンの島内を彷徨する。人道的価値観を持った主人公は、戦争だからと割り切り、時には不本意な行動を起こさざるを得ない状況に陥る。しかし生命の極限に立たされても人肉嗜食には、踏み切らなかった。彼の思想には一種、人間をも超越した神の価値観が存在するかのような不思議さを読者に与える。
この作品は、理路整然とした文体で情景描写に長けており、文学的、芸術的価値も多大だと思われる。本作品から我々が得るべき教訓は、戦争という市民的価値観に反した行為は、単に人命だけでなく生命の根源的尊厳の侵害に当たるのだということを認識することだと思う。戦争の真実を伝える作品として、今後も輝き続けてほしいと切に願う。
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