本書は、芥川賞候補作品のうち受賞に至らなかった作品の中から筆者が選んだ名作12作品を、仙台文学館の連続講座で受講者とともに読み直したものである。講師を務めた筆者は、作品と作者についての解説や名作の所以、読みどころに加えて、当時の選評や同じ選考期の他の候補作品にも触れる。文章は講演調で分かり易く、講座受講者やゲストの文芸誌編集者や作家の発言もあって、会場にいるような気分になる。
評者はこれまで佐伯さんの小説をほとんど読んでいないが、実作者ならではの解説は非常に面白かった。文学観が窺えるものに「小説の批評はいくらでも悪く言える。悪いところばかり見ても本当に読んだことにはならない。いいところを見つけ出したいと思って読む」とか、「(作家が戦争体験や闘病体験を描くのは)書かないことには苦しみから解放されないし、生きられない」とある。また小説の作法としては、主人公の人称によって視点が変わること、書き出しの工夫、通俗性を避けた比喩表現、等に作家の苦労を語る。
筆者は良い作品は良いとの考えであり、芥川賞の当落に拘ることは本書の意図に反するだろうが、凡人にはやはり気になる。選考の最終局面では、選者の作家・作品に対する好嫌や押しの強弱が反映し、2作品で競った場合は同時受賞もあるが3作品で競った場合は該当作なしが多いとは、腑に落ちる話だ。個別には、北條民雄の場合、師匠格の川端康成が北條の病気と世間への配慮から強く推さなかったことに触れ、また島田雅彦と干刈あがたの秀作が落選したケースでは、選者達の読む能力に対しやんわりと疑問を呈している。
巻末に芥川賞候補作と著者が名作として読んできた作品のリストを掲げている。いずれも興味深いが、洲之内徹の「棗の木の下」と小沼丹の「村のエトランジェ」は、すぐにも読みたいと思った。
「樹下の家族」「ウホッホ探検隊」などなど、「家族」のかたちを提起してきた干刈さんの作品は、どれもとっても面白い。 離婚がそれほど特別なこととして受け止められなくなったいまも、彼女の作品は「離婚前」または「離婚後の生活」を書いた中では秀逸だ。 「樹下の家族」には、それまでお互いに「閉ざしていた」夫婦関係の、妻から夫への呼びかけが語られる。「私はあなたが好き、あなたを愛している、だからどうぞこっちへ来て」というくだりは、いまなお、多くの妻からの呼びかけであるように思える。 私自身は「裸」がいちばん好き。離婚を体験し、現在はいわゆる「不倫関係」にあって、子どもがいて…こういう人って、たいてい「悪役」になっちゃうでしょう。あがたさんの作品には、そういう立場の女の人がけっこう出てきます。 干刈あがたさんが、「どうせ終わってしまうなら、一瞬でもきれいに輝いて消えてしまった方がいい」と言っていた…という本を読んだことがある。このひとは「永遠」とか「いつまでも幸せに暮らしました」というものには、たぶん、興味がないのだろう。このひとの作品は「一瞬の輝き」を書き留めていったモノの集合体。それでいいのだ。
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