出世作「夫婦善哉」を読むと夫婦には子どもなど不要なことが わかりますな。 なんやかやと子どもはうっとうしい。 もっと言えば夫婦になる必要もない。 戸籍も必要ない。 これから晩婚化がもっと進みますやろ。 石川さゆりの「夫婦善哉」もよろしおっせ。 関西にはこういうまったりしたもんがようけおます。 それがうれしおすな。
坂口安吾は、形式的な美を否定し、徹底して実用的なものに美を求めていく。
「見たところのスマートさだけでは、真に美なるものとはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。」
「それが真に必要ならば、必ずそこに真の美が生まれる」
彼の「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ」という一文はあまりにも有名だ。
伝統や文化に乗っ取った美は、空虚であり本物でないということだ。
だが、それでも人は、そうした空虚な美を求め続けるのだろう。そういう生物なのだ。
彼は「堕落論」で、「人間は(中略)堕ちぬくためには弱すぎる」と指摘している。彼は続けて「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」と言う。
だが私は、坂口安吾のこの主張は、軟弱者である一般人にとっては相当に厳しすぎるものだと思う。彼は心が強いのだろうが、多くの人はそうは行かない。それをすべての人々に、つまり多くの軟弱者に、要求するのはどうも「強者の論理」の気がしてならないのだが。
ちょっと批判したが、短いエッセイで読みやすく、一読しておいて損はないと思う。
この文庫本のアンソロジーに付けられたタイトルが、「ほりだしもの」。よくぞ、ここまでぴったりのタイトルを付けたものだと思います。
一つには、宮沢章夫・中村正常・石川桂郎・久野豊彦・伊藤人譽と言った、今まで読んだことどころか、名前も知らなかった作品が読めたことです。
更に、もう一つは、芥川龍之介の「カルメン」などの様に、著名な作者の隠れた名作が読めた事です。 中でも、織田作之助の作品が三篇選ばれていますが、どれも素晴らしい出来で人情味豊かな話になっており、読後にほんのりとした心の安らぎを感じさせてくれました。
読んだことが無かったが、その悪品の素晴らしさに、もっと読みたくなったのは、伊藤人譽です。 この中には、「穴の底」「落ちてくる!」の二作品が載っていますが、穏やかな言葉の影に、「怖さ」さえ感じさせられました。
これで、シリーズ4冊目になりますが、今後もほとんど目に触れなかったこうした素晴らしいの企画を続けて欲しいものです。
甲斐性なしのボン柳吉の凸と凹に
芸妓あがりの蝶子の凹と凸がうまい具合にはまり
互いに相手の欠落を補いながら
寄り添い合って生きていく二人
何かを得ては失うから
何ら前進しない
もがいたり足掻いたりしながら
結局また同じところに戻る
その停滞感がいい
設定、筋いずれも古典的で目新しさに欠けるが
日本人の心の線に的確に触れてくる
新しくはないが面白い
これは凄いことではないか
織田作之助の文庫版短篇集で、現在廉価で購入できるのは、『夫婦善哉』(新潮文庫)、『ちくま日本文学35 織田作之助』(ちくま文庫)、『六白金星 可能性の文学 他十一篇』(岩波文庫)の三冊であろう。
新潮文庫収録の六篇は全て、ちくま文庫及び岩波文庫のいずれか(あるいは両方)と重複しているため、ちくま文庫及び岩波文庫を持っているなら新潮文庫は不要だ。
ちくま文庫と岩波文庫とでは、「可能性の文学」「アド・バルーン」「世相」「競馬」の四篇が重複する。
このちくま文庫には「馬地獄」「夫婦善哉」「勧善懲悪」「木の都」「蛍」「ニコ狆先生」「猿飛佐助」「アド・バルーン」「競馬」「世相」「可能性の文学」の全十一篇が収録されており、織田の代表作を綜覧するにはよい。
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