久しぶりに大沢在昌氏の小説を読み通しました。始めの5分の1あたりまでは、会話のテンポもかなりスローで、大沢氏の小説ってこんなだったか、といぶかしんだのですが、中盤からはテンポが上がり小気味良く進んでいったと思います。ただ、最初から最後まで抜け切れなかった思いが、しずりとういのは、かなり男性願望が反映されたいくぶん理想化されすぎた女性ではないかということ。今の女性はこれほどピュアではないような気がします。女性読者がいるとすれば、ついてこれないのではないかな。筋は適度にひねりが効いていてまずまず面白いと思います。実は警察の内部に悪がいた、という構図は新宿鮫でもすでに十分お馴染みのものとは思いますが。最後の山の奥に入っていき悪と邂逅するシーンは、なかなか雰囲気が出ていました。『氷の森』を思い出しました。大沢氏の小説の愉しみのひとつとして、魅力的な脇役の存在がありますが、今回でいうとしずりの上司の中崎でしょうか。適度に抑制の効いた言動がかっこいいなと思わせます。芋焼酎を買ってしまいました。
540ページとかなりボリュームあります。 話の設定と冒頭のつかみはかなりいい感じですが、物語が進むにつれてやたらとキーになる登場人物がどんどん出てきます。敵かと思わせておいて実は味方だったり、あるいはその反対だったりと意外性を強調しようとするあまりに、脇役たちのキャラがちょっと中途半端になってしまっている印象を受けました。
またこれはと思わせる人物があっさり殺されてしまったり、あるいはすでに死んでいたりと謎解きとしての要素も盛り込もうとしたのでしょうが、これもちょっと肩すかしの感がありました。登場人物の隠された過去や生い立ちなども、秘密を大きくしすぎると読んでいてそんな馬鹿な〜、と感じてしまうのでは。 それから話の中に外人さんたちもいろいろと登場しますが、ちょっと書き方が薄っぺらいように思えてしまい、これも今一つ物語の中に入って行けない要素のひとつでした。
・・・とまあいろいろ書きましたが、読んでいて退屈はしませんでしたし長くも感じませんでした。 筆者の久々の長編なので、ファンにとっては値段相当はあると思いますが、いかがでしょうか?
最後にちょっと内容に触れますが、神眼と獣眼が同時に存在するのであれば、なぜ生き別れにする必要があったのでしょうか? こんな疑問は感じませんでしたか?
英雄は何かを変える。英雄は何かを壊す。著者はプロモーションビデオにおいて語ります。優位性を喧伝するために使われる言葉としての英雄。その対義に当たるのは大衆です。大衆に向けて英雄を表現するという行為はどのようなカタストロフィを生み出すのでしょうか。「100%エンターテインメント」としている本書においてはより一層その意義を吟味したくなります。作品の生み出すカタストロフィに対して、妥当な期待を抱き、没頭して読書できることを望みます。
2ページ程、ちょっとべたっと紙同士がくっついてるページがありました。。。丁寧にはがしたけど少し色移り&はげちゃった。。。 佐田真由美さんの美しさをパンフで保管&楽しみたく購入しましたが、いまいちな写真ばかりでした。 映画の余韻にひたったり思いだして楽しんだりするのにはあまり良くない構成でした。 もっと良いカットが沢山あったのに!!という思いにかられながら見ました。
出だしは、興味をそそるかきかたで、よかったが、中盤チョトだらけて、後半ぐんぐん、面白く読まされる。昔懐かしい、アメリカンハードボイルドタッチ。
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