本書は、かつて、放送大学の印刷教材として出されたものの文庫化です。 やさしい語り口ながら、哲学研究者として著名な著者の深い学識の裏づけの上に 現代の諸問題について考え抜かれた上で書かれたものである点で、本当の意味で 哲学的な本だといえます。 著者の研究の守備範囲であるハイデガー、フッサール、ニーチェ、カントやヘーゲル そしてシェリング、西田、といった哲学者の書いたものを読んだ上でさらにこの 本を読めば、この書物は、さらに味わいの深い、示唆に富むものとなってきます。 現代において生きるということを、哲学的仁真剣に考えてみたいひとにとって、 恰好の話し相手、導き手となってくれる書物だとおもいます。 繰り返し、読むたびに新しい発見があるのも、この著者の本の特徴です。 私にとっては、ずっと座右において、大切に大切にしたい本のうちの一冊です。
これだけ味のある歌集はめずらしいのではないでしょうか。 歌というのはオリジナルが一番いいに決まっていると思っていたのですが、 個人的にはオリジナルを超えるアレンジや歌声のものばかりです。 原曲では表現されていない音作りもすばらしいし、何より歌手の皆さんの 曲に対する愛情や熱意が伝わってきます。 全体的なアレンジとしては、アコースティックギターの音色が好きな方には、持ってこいだと思います。 一番意表を突かれたのは、渡辺真智子さんの「もしもピアノが弾けたなら」でした。
“純粋理性批判”について素晴らしいだの、あれは間違っているだのという考察を述べられるような人間ではないため(序文や第一部門・超越論的感性論などは、解釈本を読めばまだついていけるのですが、第二部門以降はトホホな状態です)この平凡社版の本自体についてだけ書きます。 カント研究者の(本人はこう呼ばれるのがお嫌いなようですが)中島義道氏によるとこの原祐訳は、以前は誤訳が多くあまり薦められない内容だったらしいのですが、門下の渡邊二郎氏によってかなり正確な補ていがなされており、信用できる訳文になったそうです。 確かに訳文以外にも、活字も大きいし読みやすい本だと思います。 第二版で書き改められた部分を上下二段にして違いがはっきり分かるような構成にしているのも(読みやすくはないのですが)いいと思います。 値段が多少張りますが、岩波版よりこちらの方がやはりお薦めだと思います(ただ下巻については、ページ数の少なさから言ってその高さにちょっと閉口するのですが)。
この本は、『芸術作品に接して興奮を覚える人間とは、一体何なのであり、人間のいかなる在り方に根拠づけられているいるのだろうか』という問いを中心課題に置き、アリストテレス、ニーチエ、ハイデッガー、ガダマー、フロイト、ユング、ショーペンハウアー、カント等の思想に即して、著者の哲学的考察をしたものである。 その考察を一言で言えば、芸術とは、科学知では及ばない、人間が生きているということに関わる「真実」を、「発見的装置」としての芸術作品を媒介として自己認識することである、というものである。 著者の言わんとするところを理解するためには、ハイデッガーなど引用されている哲学者達の言い回しについての理解が少し必要ですが、小生のような一般的読者にとっても、冒頭の問いを持ってさえいれば面白く読めると思います。
構造と解釈という概念を、それを論じた著名な哲学者の引用を通して学んでいく優れた解説書です。引用が多いので、手っ取り早く学ぼうと考えている人には向きません。腰を据えて読む本です。
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