6作目『GOSICK V ベルゼブブの頭蓋』の明確な続巻である今巻は、
海に孤立した修道院から脱出した主人公ふたりが乗った列車の中で幕を開ける。
ひとつのコンパートメントに乗り合わせた面々が、その場限りの名前を名乗り、
お互いに自己紹介をする。皆一様に何かを隠し、その演じる役名は…
自分の誕生日を探す黒髪の少女<孤児>、お忍び旅行中の温和な中年の婦人<公妃>、
攫われた妹を探す貴族風の青年<木こり>、溺れ死んだ男の体を乗っ取ったという大男<死者>、
そして、金髪の天才美少女ヴィクトリカこと<灰色狼>と、そのまぬけな崇拝者一弥の<家来>。
―人間が咄嗟に吐く嘘には、本人の意思に反して、何かしらの真実が含まれる―
<孤児>がうっかり落とした赤い箱。それを皮切りに、それぞれの思いを乗せて
列車オールド・マスカレード号は、夜を走り抜ける…
さて、今巻ばかりは何故こんな構成にしたのか、理解に苦しむ。
事件が起きるまでを第一部とし、容疑者3人の証言と、犯人が己の証言を回想する第二部、
エピローグで締め、という形式になっているのだが、この最後の回想がまずい。
3人の証言で本人・周囲の描写を一切排して、語りだけで読まされたあと、犯人が確定。
その犯人が自分の証言を回想する形で、つまり証言と全く同じ文章のところどころに
「心の中の声」を入れ込んだ文章を、読者は再び読まされるのだ。
これは、例えば漫画であれば「絵ではなく台詞だけで説明する」という最悪のパターン。
そして、既刊でも度々書いたが、簡単な単語をひらがなで書く―所謂「ひらく」語句が多過ぎ。
「うつくしい」等は、その語句の持つ意味を強めたい故であろうが、
この作品にはこの言葉が余りにも多用されるため、言葉の印象自体が薄まってしまう。
p180〜などは、「かんじんの」「おもしろかった」「ほんものの」「おそるべき」「ちいさく」
「ちくしょう」「だいじょうぶ」「ぜったいに」「おどろくほど」「いっぱい」…キリがない。
冒頭から暗喩比喩を駆使した、この作者らしい装飾の多い文章に何とも不釣り合い。
また、p186「無事に帰ってはこまい」…こまい? 帰ってはきまい、では?
どちらにしろ「来まい」にしておけば良かったのではないか?
そして毒殺のトリックは、被害者が苦しみ出した時点の伏線で早々と見抜ける程度であるのに、
長々と引っ張り過ぎ。登場人物の正体も、同じ。とにかく簡単過ぎる。ヒントが多過ぎる。
そんなこんなで唯一良かった点は、主人公ふたりのお互いへの気持ちがランクアップしたところ。
名付けようのない感情から、はっきり愛情へと変わり、かけがえのない存在として意識する。
そこに出てくる「正しい弱さ」という表現が、作者が年若い読者に一番伝えたい言葉ではないかと思う。
表紙と本のタイトルからは想像できない内容だった。
生々しい表現もあって苦しくて、、でも悲しいのはこれが現実に起こっているということ。
それから、読み終わって気付いた。今日が10/4ということに。この本を読んだ人には分かる。
後味は正直良くない。でも、これを読んで良かった。目をそらしてきたものに向き合えた気がした。
メロディーのAメロ出だしが中川翔子「空色デイズ」、サビがビギンの「島人ぬ宝」に聞こえるのは私だけだろうか?
まあ、それはさておきとても良い曲なのは確かだ。 原作を昔読んだきりで、ドラマCDこそ聞いたもののアニメのほうは未視聴で申し訳ないのだが、少なくとも原作しか知らない身から聞いても歌詞はGOSICKの世界観をよく捉えており、作品のイメージソングとして聞いてみて損は無いだろう。 というかむしろ聞いてみたほうがいいよと薦めておく。 ヴィクトリカと出会い、様々な事件に巻き込まれる久城をイメージさせる軽快なメロディーではあるが、座り込んでほとんど動かないヴィクトリカも目に浮かぶ。(まあ、原作後半は割と動いてますけど…)
個人的にアニメ化するなら下手に歌詞等をつけるよりヴァイオリンあたりのインストゥルメンタルでOPを。と思っていたのですがこの曲ならいい感じなのではないでしょうか?ちょっとアニメが観たくなってきました。
そういえば最近角川文庫の方で原作の完結巻が出ましたね。アニメ効果でしょうか。完結を絶望視していたのでうれしい限りです。(忙しくてまだ読んでないんですが)
文句なく面白かった。時代小説が苦手な私でさえぐいぐい読み進めることができた。
人間の姿をして悪行の限りを尽くす犬人間「伏(ふせ)」が跋扈する江戸。身寄りがなくなり兄の動節を頼って江戸にやってきた山出しの狩人少女、浜路。この兄妹が伏に掛けられた懸賞金を目当てに狩りに乗り出す。と、これだけ書けばありがちな捕り物小説なのかと思うだろうが、里見八犬伝が絡んでくるのだ。作中で「贋作・里見八犬伝」を書くのは馬琴の息子の冥土。本編のなかにまるまる挿入された入れ子の小説を紐解くうちに伏の出自の謎が明らかになっていく。未完成のその物語は本編の終盤で浜路が伏のひとり(一匹)と対峙するときに、彼、信乃の語りによって収斂されていく。
浜路は狩るものだし、信乃は狩られるものではあるのだが、ふたりの足場はシーソーのようである。立ち位置が少しでもずれれば立場は逆転する。狩るはずのものが殺されることもあるし、逆もまたある。その瞬間ふたりはまったくの対等である。互いの立場が理解できるからこそ、その瞬間に友情めいた感情がチラリと交わる。犬人間として生きなければならない孤独や哀しみを初めて理解したのは浜路ではなかったか。「生きる痛みを忘れるために美しいものを見る」それは犬人間としての粗暴さとは真逆な描写なのだが、信乃がふるさとの森で見つけた蛍をガラス瓶に閉じ込めて大切に持ち歩いているさまが、伏として生きなければならない彼らの哀しみと孤独をよく現しているように思う。爽やかな読後感だった。
富士見ミステリー文庫のお菓子とフリル要素担当、『GOSICK』のドラマCDです。内容も、ビスクドールのような少女ヴィクトリカが、冴えない東洋人久城一弥に世話を焼かせながら、なんとなく事件を紐解いていくゴシック・ミステリーです。 物語は物凄く長いです。最後のトラックに3分程度、斎藤千和さん入野自由さんのコメントがある以外、CDまるまる一本ドラマになってます。声優さんたちも、あまり詳しくない私が名前を知っている人たちばかりで、ボリュームもクオリティも原作さながらの豪奢さでした。 とっても残念だったのは、CDオリジナルのストーリーではなく、原作にある物語をトレースしているところでした。具体的には『GOSICKs―春来たる死神―』の第一章から第四章までの内容。原作を1巻から読んでいくと、5冊目で主人公達の出会いを描いた物語があるのは新鮮に感じましたが、原作の読者にしても、ドラマCDで初めて『GOSICK』に触れる人に対しても、どうかな〜?と思わざるを得ないチョイスでしたね。 あとセシル先生役の堀江由衣さんの声が目立ち過ぎでした。もう少し地を出さずに、おっとりした声で演技して欲しかったと思います。
とても優しい内容ですし、子安武人さんのちょっとおどけた演技とか、雪野五月さんのアドリブとか、原作を知らずとも聴き応えのあるものだとは思います。でも熟知した内容なので、そう何度も聴きたいとは思えません。もし次があるのなら、ぜひオリジナルストーリーを書き下ろして貰いたいと思います。期待を込めて星3つ。
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