この映画は文系の人が好きな映画なのか?そもそも理系の人が好きな映画なのか?
主人公は「(宗教者でも科学者でもなく)ここへは詩人が来るべきだった…」と思わずつぶやいてしまっている…。
大宇宙のあまりにも壮大な全貌の一端を観て慄(おのの)く彼女。
宇宙人側からコンタクトをとってくる映画です。
そこには「コンタクトする方法」がメッセージされている。
主人公は独り宇宙人と会う。
よく言う「宇宙人は居ると思うが、逢える距離と、タイムリーの問題がある」という話は有名…
しかしながら本作で…かれら宇宙人は言う。
「あせる必要はない。我々は何十億年とこうしてゆっくり異星人と接触してきた。
『コンタクトする方法』も、我々が来た時には他の未知の宇宙人に依って既に残していてくれて有ったものさ」
と。
わけが分からないといえば分からないが、不気味なくらい説得力がある。
スケールも大きい。
日本人の映画監督の中でこの映画を作れるくらいの素養のある方がどれくらいいるか。
アメリカの苦悩は「世界を創った神」と「科学」の立場の差異。
現代では「神は創造主」から「自然そのもの」という変化の変遷を訴える人も出てきている。
「両者は真実に従って並立するものさ…」、
そう訴えるのがおそらくこの映画の一つの挑戦。
映画はその「挑戦」にしっかりと「拍手モノ」の映画である。
是非、興味のもたれた方はどうぞ。
人類は「知能が上がれば上がるほど、その足場である
自ら自体の「存続」の危機を見せて来たという歴史を持っている…。
悪く云えば「戦争が科学技術を高めた」のが定説という人もいるくらい。
「高い科学力や知識をもった宇宙人へ一つ質問を出来るとしたら何を聞く?」の質問に、
主人公は「宇宙人が今の我々より少しでも高い知識と科学力を手に入れた後でも
戦争に依る滅亡に及ばなかった理由を聞きたい」と答える。
ここは人類の未来を占う「希望」を求めて…の質問です。
…これは人類の
本当の「英知」や「科学の立場」に対する、根本的な科学者としての問いかけの場面です。
この人類に対するこの視点を取り入れられたこの映画は、
今のどんな派手なハリウッドのコンピュータ・グラフィックバリバリの映画でも描けていない、
より「現実的」で、しかも謙虚で真摯な眼をもつ、さすがセーガンとも言える、
地味でもより風格漂わせる「稀(ま)れ」とも言える作品になったといえると思います。
そういう意味からも、きっとこれからも
見直される事のあるメッセージ大作映画だと思う。
持っていて夢を募らせるDVDです。
ジョディ・フォスターの演技もとてもすばらしいです。
人生の最後の賭け、それは男の最後の夢をかなえさせたが、その夢は長くは続かなかった。この作品はそんな男の生き方を描いた名作です。 ジャック・サマースビーは6年ぶりに南北戦争から帰郷します。戦前の粗暴な性格はすっかり影を潜め、妻のローレルと支えあいながら、戦争で荒廃した町を救うため新たな事業に乗り出します。 しかし、その幸せの絶頂に、過去の殺人の罪で彼は逮捕されます。彼は自分自身の名誉や妻子への愛、住民への土地売却の約束を守るために、甘んじて罪を受け入れようとします。ローレルも彼の真摯な姿勢に心を打たれ、ついに心から彼を受け入れます。 法廷でローレルの口からほとばしる夫への愛の叫び、そして独房で彼がローレルに語りかける「君と一緒だったから自分のような男でも立派になれた。」という言葉は胸に響きます。 ジョディ・フォスターの演技も光りますが、リチャード・ギアの熱演も感動的です。法廷での展開とその後の「ジャック・サマースビー」の最期には目頭が思わず熱くなってしまいました。
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