二十四時間の情事 [DVD]
原題は「広島 わが愛」 原作はマルグリット・デュラス。未読。岡田英次が主演し広島が舞台のこの映画だが日本人の99%が見てない。テレビでも放映された記憶なし。なぜだろう?日本の題名がよくない。エロ映画じゃないんだからさ。センスゼロ。なんで「広島わが愛」で悪いんだろ?馬鹿者。アラン・レネは作品が極端に少なくよくおまんまフランス・パン食べていけるな。発表すると質が高いので評判になるが日本ではあまりにもハイブローで人気はない。難解だし。しかしDVD1本持って彼女(いればの話)とボージョレ・ワインを飲みながら見て「ジュ・テーム」と耳元で囁けばベッドに直行だろう。だから買って損はないぞ。さて?24時間もエッチしたことはない。2時間だな。Mさんと。ヨガやってるスティングは「俺は6時間でもやれるぞ」そんなに持続できるもんだろうか?Mさんのこと「悪魔」とかサドなんて書いたがとんでもない誤解で取り消します。月に1度の***だったんです。今になって気がついた。あれのとき以外は優しい。Aさんもいらいらして煙草ばかりふかすときがある。普段はとても素敵なのに。しかとしたり。あれだったんだ。女性はデリケートで複雑だ。阿川佐和子以外は。穴があくまでパンツはくなよな。印税成金(私14冊買いました)のくせにパンツくらい買えよ。しょうがない女だな。
二十四時間の情事 [DVD]
この映画は、反戦、広島といった要素は直接的には関係ないと思います。「生VS死」、つまり、「体験したことVS見聞きしたこと」の間の埋めがたい溝。本人にとっての体験は、他人にとってフィクションであり、想像することはできても理解など出来るはずがない。私達が死を想像することができても、理解できないのと同じです。生きている人間は誰も死を体験していないのですから。(笑)しかし、もし、愛する人の死を体験することで自分も生きながら死んでいるような状態になることは死を意味し、強烈に惹かれあう異性と一緒に過ごすのは生を意味すると、、。強烈に惹かれあい愛し合うということは、物理的に生きているという次元から、精神的に生きているという次元に変えてくれると、月並みに言えば男女間では愛こそが至上であると、、、そして愛そのものは、幸福も不幸も持ち合わせているが、それこそが「生きる。」という意味だと、、。それを、記憶と忘却という言葉のフィルターを通して語っています。冒頭での広島に関する会話と、我々が日本人だからどうしても日本人俳優の方に主観を持っていきがちですが、映画の主観は主人公のエマニュエルの方です。彼女の過去の恋愛を岡田英次が聞くシーン辺りから、映画の主観は、彼女の方に変わります。日本人ならではですが、冒頭シーンの会話と日本男の方に主観をおいていると分からない映画ですね。いずれにせよ、ロマンチックだなー、こんな恋愛してみたいです。恋愛映画として傑作。
六つの心 アラン・レネ [DVD]
人と人を隔てるもの、個人の抱えた孤独感などを感じさせる映画です。
絶望的な孤独というより、都会に生きる人達が無数の他者に囲まれながら感じる孤独で、
私たちが身近に感じる事のできる孤独。
冬のパリに静かに降り積もる雪が、
登場人物達の心情的な環境に閉鎖感を加えているようで、
そのしんしんと心に積もる寂しさが感じ取れるような気がします。
でも、そんな孤独を内に秘めた「個」である人と人が、何処かで実は繋がっている、
そういうことも気づかせてくれる映画です。
劇的なドラマがある訳ではなく、
実生活に近いような何気ないストーリーが交差していきます。
登場人物同士がどこかで直接、もしくは間接的に接点があって、
人と人の繋がりの一端を垣間みるような展開でシーンが繋がっていきます。
僅かな接点にほんのり暖かさのある人と人の関係性があったり、
もしくは身近な人とお互いの乗り越えられない壁で痛みを感じたり、
日々何気なく生活している中で起こる小さな出来事が、
優しい視点で描かれています。
見終わった時に、ちょっぴり寂しく、ほんのり暖かい不思議な感覚が残りました。