ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
自由市場主義を標榜するアメリカや先進国の欺瞞を告発する本書は、これまで私の頭の中にあった漠然とした先進諸国の「汚い」やり方に対する不満や不信感の所在を浮き彫りにし、鮮やかに示してくれた。
ショック・ドクトリンとは大きな自然災害、戦争、経済混乱など社会を騒然とさせる事象が発生した際、人々が茫然自失の状態にある中、被害者が自分たちの権利を結束して言い立てる暇を与えず、その隙に一挙に政治・経済・社会の在り方を変えてしまう、つまり、どさくさまぎれに過激な市場原理主義改革を実行に移す火事場泥棒である。その総領はミルトン・フリードマン。ショック・ドクトリンには自然災害など受身の惨事だけでなく、戦争や経済危機のように、回避できる(回避しなければならない)騒乱を意図的に引き起こし、そこに便乗する利益追求も含まれる。これまでも金融資本による陰謀論などが囁かれてきたが、本書は、積み重ねられた「事実」から見えてくる構図を理路整然とまとめあげている。陰謀論のような多分に予想を含んだ論旨ではなく、整合性が保持され、説得力を持っている。
著者のNaomi Kleinはカナダ在住のジャーナリスト。歴史の「事実」のみに注目し、そこから見えてくる共通の過程を徹底的に吟味・検討を加えることで本書を貫く原理を見つけ出した。私はアジアか中東あたりの東洋からこのような書籍が出るだろうと予測していたが、カナダだった。何故カナダなのかを考えるのも面白いと思う。原題は『The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism』。惨事便乗型資本主義と翻訳されている。本書の英語版初版は2007年。既に4年以上の歳月が過ぎて翻訳本が出た。スペイン語、ドイツ語は翌月に、イタリア語では翌年翻訳本が出ている。本書が、現在進行中のアメリカやヨーロッパの市民運動の火付け役になっているとすれば、それらの活動は日本より4年進んでいることになる。火事場泥棒のようなやり方は世界各国で非難の対象になっている。
本書に取り上げられている歴史的事実として、自然災害では2004年のスマトラ沖地震、2005年のルイジアナ州を襲ったハリケーン「カトリーナ」の被災後の様子が克明に記録されている。スマトラ沖地震で大津波に襲われた地域では、村の再建を目指した数十万の漁民を海岸沿いから追い出し、外国投資家、国際金融機関が大規模リゾート地帯にしてしまった。ニューオーリンズも同じような結果になっている。
戦争では9.11後のイラク攻撃について突発的なものではなく、1970年代南米ラテンアメリカ諸国で展開された経済改革について分析を加え、「経済改革、軍事クーデター、暴力的な弾圧」という3つのショックをセットにした強制的な変革が雛形として存在していた事実から、同じ手法がより大規模な暴力を伴って30年後に実行にされたのがイラク戦争だと分析する。地理的にもかけ離れた南米と中東、30年というタイムラグなどを超越して、共通して見えてくるのがショック・ドクトリンである。ショックの目的は何か。アメリカはイラク攻撃を「衝撃と恐怖作戦」と呼んだが、初期はイラクが保有している大量破壊兵器を見つけ出すのが大義だった。それが途中からテロとの戦いに変化していった。イラクには大量破壊兵器はなかった。アメリカは何を求めてイラクまで赴いたのか。「衝撃と恐怖作戦」の前後で変化した事実を比較することで明らかにしている。イラクは2003年3月から2004年5月の僅かな期間で完全に自由市場化された。それまではイスラム圏に属し、市場経済からは一定の距離を置いていた。統治に当たったイラク暫定政府(CPA)は関税・輸入税を撤廃し、200社の国有企業は例外なく民営化された。外国資本によるイラク企業の100%所有が可能になった。外国資本が得た利益の海外送金が認められ、100%自由化された。これが事実だ。イラクは資本にとって魅力的な植民地になったのである。
著者はショック・ドクトリンの本質を、復興という名の下、その地に根ざした地域社会を一掃し、時を置かずそこに企業版新エルサレムを建設することだったと喝破する。
さて、ショック・ドクトリンという物差しで日本を取り巻く状況を観察し直すと、現在進行形の事象で留意しなければならない点がいくつか思い浮かぶ。
まず、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加であるが、農業の問題だけに焦点が行きがちだが、実態は医療、労働、雇用など社会の根幹を支える制度改革も包含している。TPPへの参加はショック・ドクトリンの射程に含まれるということを意味している。参加の可否はそのようなリスクがあることを十分理解した上で決定する必要があるだろう。
また、東北大震災と原発事故処理が「復興」という名の下、被災者不在、企業の利益優先にならないか、復興予算の使われ方を注視し、スマトラの二の舞にならぬよう監視する必要がある。
更に、世界規模で進行中の金融危機に関して、ショック・ドクトリンが発動されるタイミングはいくつもあるだろうと予測される。過去、市場経済に舵を切ったロシアや中国で何があったのか、歴史的事実を知っておくと同時に、軍事クーデターや暴力的な弾圧といったショックが発動されないよう、このような言論空間を含め、慎重な情報分析と的確な判断が各自に求められていると感じた。世界を展望する枠組みがこれほどスリリングで、危機感を伴って迫ってくる教科書は他に見たことはない。
ブランドなんか、いらない
ブランド価値至上主義のマーケティングとグローバリゼーションが、いかに発展途上国の人を搾取し
またそのことが結果的に先進国の人にも悪影響をあたえているか、の危険性を提唱した名著。
マーケティングの教科書的記述から始まり、現代的マーケティング手法の行く末には、人間性を無視する
非道な世界が広がっていることを分かりやすく解説してくれる。それは遠い国の話ではなく
われわれ誰もが親しんでいる身近なグローバルブランド、すべてに共通する問題だ。
現在でこそ、ナイキなどのグローバル企業による搾取労働は随所で問題視されるようになったが
その先鞭をつけた本書には、それなりの歴史的価値があると思う。著者のナオミ・クラインも
反グローバル主義運動の大御所となった。
個人的に面白かったのは、先進国のゲリラ芸術家達による、反ブランド運動の描写かな。
ここはユニークで、非常にユーモラス。こういうアプローチもあるんだ、と一読の価値あり。
Live in Las Vegas: A New Day [Blu-ray] [Import]
アメリカでは日本に先駆け販売になったので、感想を書きます。
DISC 1:”A New Day..."のショーが始めから終わりまで完全に収録されています。曲目も2007年度の曲目と変わりありません。さまざまなアングルから撮影されていて、CELINEはもちろんのこと、ダンサーや舞台にもクローズアップされるので、新しい発見が結構ありました。コロシアムで実際に見るのとはまた違った印象が得られると思います。
DISC 2:”A New Day..."のバックステージの様子が収録されています。夕方CELINEが自宅からシザーズパレスに向かうところから始まり、サウンドチェック、メークの様子、ファンとの対面、そしてショーが始まり、裏方ではどんな風にダンサーや小道具さんたちがスタンバっていたのか、レネはどこで舞台を観ていたのか、舞台のからくりはどうなっていたのか、CELINEの楽屋の全貌、ショーの間の衣装替えはどう行われていたのかなど(CELINEの着替えがかなりきわどいです)、始めから終わりまですべて収録されています。観客席から観る”A New Day...”はとても進行がスムーズで一つの芸術作品のようだったので、まさか裏ではこんなにバタバタしていたとは思いもしませんでした。本当に大掛かりなショーだったのだなあと思いました。そして、ショーが終わり自宅に着くまでの様子も収録されています。レネ・チャールズ君が恐ろしく長髪なのには正直言葉を失ってしまいましたが。親子の会話、CELINEの自宅の内部、だんなさんとの会話など、私生活も垣間見た気がします。ファンなら絶対に欲しい一枚だと思います。
ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
原題にある「ディザースター・キャピタリズム」のディザースターは通常「災害」と訳されることが多いが、本書に於いてはタイフーンや津波で生じた混乱に乗じて漁民の土地をリゾート地に変えたりすることだけではなく、人為的な「戦争」でも大がかりな強奪が行われていることも指す。
この「惨事」便乗型資本主義、の象徴的人物がブッシュ(息子)政権のチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官。大手多国籍企業の重役と政府の重職を回転ドアのように行き来する高官たちの中でもトップレヴェルであり、イラク戦争でも大儲けした。911アタックそのものが陰謀との説もあるが、その後のイラク戦争はもう陰謀そのものだろう。
そこで行われているのは独裁者からの解放などではなく、国家解体・抹消である。米政府および各国の援助金が復興建設などを行う多国籍企業に下請けに出され(しかもかなり杜撰な)、企業は外国から安い労働者を連れてくるのでイラク国民は潤わない、という構図だ。こうした政府高官と企業、経済学者の結託による「惨事便乗型資本主義」が襲った国は間違いなく格差が拡大し、金持ちはゲートとガードマンに囲まれた「グリーン・ゾーン」に住み、貧乏人はその外側で貧困に喘ぐという、バイオレンス・ジャックを彷彿とさせる弱肉強食の世界に変わる。本国アメリカとて例外ではなく、ハリケーン・カトリーナの後に公立校が次々閉鎖されたり、一部の白人・金持ち区域が市から独立してしまう、といったことが行われている。まさに国家内分断が現実化している。
原書発刊が07年とのことでオバマ政権誕生にも一役かったのかもしれないが、その後南米ではこの種の米政権・多国籍企業進出にNOを突きつける動きがあるし、中国でも天安門事件以後キャピタリズムに走った後、各地で格差社会に対する抗議行動が再び芽吹いてきている。韓国はIMFの助言を受け容れた後、大企業は栄えたが物凄い格差社会となり自殺率が急増。最近も財閥オーナーが私財を貧困層の学資援助に寄付する、との報道があった。民衆のマグマは噴き出ようとしている。
幸い東北関東大地震のあとは大手企業などが乗り出す気配はないが、今後も本書にあるような事象は世界各地で起こり得るだろう。これは新しい帝国主義、植民地化なのだ。
ちあきなおみ VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家
久しぶりに圧倒されてしまう歌唱と出会いました。
アニマルズで有名な「朝日のあたる家(朝日楼)」の鬼気迫る歌声は、どんな歌手の過去の歌をも凌駕していましたね。感動しました。いや、本当に「うまい!!」と叫びそうになりました。「幻の歌唱」と語り伝えられていたというその噂通りの素晴らしさです。
我々の世代にとって懐かしい浅川マキによる訳詞の冒頭 ♪あたしが着いたのは ニューオリンズの朝日楼という名の女郎屋だった♪
からいきなりシャウトします。まるで、ソウル・シンガーのようです。途中は大女優が「一人語り」を始めたみたいに情景がパッと目の前に浮かぶような「うまさ」をいたるところに感じました。完璧な歌唱力です。美空ひばりも凄みがありましたが、多分当代随一の歌手ではないでしょうか。魅惑の歌声という形容ではすまないような大歌手です。
10数年前、ご主人の死去により芸能界の表舞台には出てこられなくなりました。本当に惜しい、とつくづくこの曲を聴いて感じましたね。
「ラ・ボエーム」「アコーディオン弾き」とシャンソンが続きますが、その語るような歌い方(声質も変えています)、そしてドラマチックな盛り上げ方、どれを取り上げても「千両役者」の大舞台での表現のようです。
彼女の代表作でもある「喝采」も久しぶりに聴きました。実話を元にしたこの「喝采」も新しいピアノ・アレンジで聴くと、よりドラマ性が強調されるようです。
ネスカフェのCMでも評判になった大好きな「黄昏のビギン」を始め、「ちあきなおみワールド」の魅力が満載されたCDでした。
アルバム・コンセプト通り本当にライブステージを体感できました。拍手、拍手。