愛という名のもとに〔1〕 [VHS]
たまたまテレビで再放送で見て、思わず心奪われてしまいました。一見友情をテーマにした青春ドラマ。その手のドラマの総集編じゃないかと思ってしまうくらい、青臭いセリフの連発なんですね。ですが、なぜ見入ってしまうのかと考えてみると、残酷なほどちゃんと現実を描いているからかなと思ったんです。大学を出て世の中で現実に直面し、そんな時にイノセントな思い出を共有する大学時代の友人たちが励ましあう風景、これがこのドラマの基本形でしょう。ストーリー中の出来事を悪いことといいことに分けてみると、悪いことは私たちが日々感じている現実なんですね。仕事がうまくいかない、不倫、個人主義などいろいろ出てきます。そうするとすぐに友人たちが集まって、励ましあう。ドラマ全体を友情に覆われているように見えるけれども、その下に存在する現実をしっかり見せています。野島伸治の鋭い目線を感じますね。つまり、厳しい現実と友情という理想(幻想?)の両方が含まれているところに、このドラマが見ている人の心をつかんで止まない理由があったんだと思うんです。見ている人は、このドラマで描かれる「悪いこと」の方が自分の生活と同じだということを無意識的にわかっている。だけど、もしかしたら友情に満ちた親友なんていう理想もあるのかもと、錯覚してしまう。ここに二重性があって、このドラマのコアの魅力になっているんでないかといのが私の考えです。驚いたことがもう1つあって、それは彼らの友情にさえ二重性があったこと。妊娠した洞口依子が「チョロと私って、仲間の中で、将棋で言えば歩みたいだって話してたよね」というセリフが第11話にあります。そう、彼らの友情は一枚岩ではなく、そこには序列や優劣がある。なんて厳しい現実だろう。こういう矛盾に満ちた、決して幸せにおぼれることができない人間像をトレンディードラマとしてポップに仕上げた野島伸治はすごいと思います。
ロマンスへの誘い〈1〉愛という名のもとに・教授と私・もう一人のケルサ (Harlequin limited edition)
愛という名のもとに【ペニー・ジョーダン】ロージーは窮地に立たされていた。祖父の遺言により、三ヶ月以内に結婚しない限り、四百年の歴史を誇る屋敷は貧欲な叔父の手に落ちてしまうのだ。弁護士は彼女に契約結婚を勧め、最高の相手として幼なじみのガードの名を挙げた。彼は十代のときロージーを傷つけた男。だがほかに選択肢もなく、ぎこちなくプロポーズの言葉を口にしたロージーだったが・・・・・。
教授と私【ベティ・ニールズ】チャリティは平穏で単調な日々に嫌気がさし、結婚するつもりでいた恋人とも別れた。とはいえ、一家の家計を支えるチャリティにとって、刺激的で心踊るような人生など夢物語でしかない。ささやかな楽しみは、勤め先の病院で内科医長のワイリーライアン教授に会えることだけだ。そんなある日、思いがけず教授のほうからチャリティに声をかけてきた!
もう一人のケルサ【ジェシカ・スティール】「手切れ金は払う。父と別れろ」社長の息子ライルのその言葉を聞いたとたん、ケルサは彼の頬を打っていた。ケルサ自身、なぜ入社早々社長に気に入られ、社長室付秘書のアシスタントに抜擢されたのかわからないが、愛人と誤解されるのは許せなかった。頬を打たれたライルは怒りに満ちた目でケルサの腕をつかんだ。そして次の瞬間、信じられない行動に出た。
Born in 1952 - 愛の世代の前に
91年、仙台「みちのく杜の湖畔公園」で行われた“On The Road 90-91”。
2年に渡って行われたツアーの最終公演だったそうで、VTR収録もするため、他の公演よりも演奏曲目が多く、3時間半から4時間ぐらいはやっていたと思います。
当時、私の無二の親友が勇気を振り絞って好きな女の子をこの野外コンサートに誘って見事玉砕(爆)、代わりに私が一緒に行ってあげたのでした(笑)。
それまでは、J・BOYとかは知ってましたが、特に思い入れもなく、野外コンサートってどんなもんだろう、というぐらいの気持ちで行ったのでした。
…1曲目が「愛の世代の前に」だったんです。
ド頭からやられてしまい、一気に浜省の大・大ファンになってしまいました(笑)。
この曲を聴くといつもこのエピソードを思い出してしまいます。
もう、あれから14年たつんですねぇ~。早い!
浜省も今だに大物ぶりを発揮し、活躍中。
俺も頑張らなくては!
愛という名のもとに (角川文庫)
1992年の1月から3月にかけて、フジで放映されたドラマのノベライズ。(随分と出版までに日数がかかってますね)
大学のボート部で「仲間」だった男4人女3人は、OBの葬儀をきっかけとして、3年ぶりの再会を果たす。集まれば自然とバカ騒ぎになった当時と違い、3年の歳月は「仲間」たちの間の空気を微妙に変化させた。そんな中で繰り広げられる物語。
この話は、約半分が恋愛に関するエピソードなので、「恋愛ドラマ」と分類できると思うが、野島伸司以外の脚本家が恋愛ドラマを作った時に生じてしまう単調さ(ノベライズされるといっそう顕著に出る)が、彼のドラマには一切ない。その理由は、この本が野島のノベライズ4冊目になる田村章が自著で言っていることから理解できる。「彼は、複数のストーリーを並行して進行させる」と。だから、一本筋にならず、単調さになることがない。飽きもこないわけだ。この本も、7人それぞれについて、ストーリーを進行させている。
もちろん、話自体も面白い。バブル崩壊後のやるせなさや、学歴社会に対する批判めいたものも感じた。
愛という名のもとに DVD-BOX
本作は、90年代初頭の高視聴率ドラマだったが、恋愛模様以外にも社会人としての現実感溢れる悲哀を描いていた部分で単なるトレンディードラマと一線を画していた印象がある。
同時に本作は野島伸司の出世作でもある。そして彼ならではのキャスト設定の妙技も既に発揮されていた、模範的な教師としての鈴木、有能敏腕である唐沢共に大学時代も主役的立場を果たし、どちらかと言えば「良」、対して風来坊のような生活を過ごす江口、ライターという不安定な生活の石橋、上司に蹴落とされる日々の中野は、一般的に(社会的)は「悪」だったのかもしれない。しかし、その既成設定が反転する所に隠し味があった。つまり、鈴木、唐沢のような慕われる人間でも「俺は(私は)そんなに強い人間じゃない」と時折、隠していた苦渋を吐露するかと思えば、江口のような極端な話めちゃくちゃな生活を送りながらもその潔さに、爽快感や羨望感さえ感じる。そのような逆転劇がドラマ自体の微妙なスパイスになった。
ドラマ放映時は年少だったため、主立った部分のみが心に残った、時を経て今再度見て感じるのが、やはり上記の現実的悲哀を巧く描いていたと感じる。自己が描く、自己の教師像に反し無干渉な生徒達のギャップに戸惑う鈴木、同様に理想的政治家を目指すもその世界の腐敗に苦悩する唐沢、組織嫌いで自由気ままに生きるも警察沙汰になる江口、上司に虐げられそのはけ口をホステスに求めた中野。。。ケースバイケースにせよ、自身が本作の実年齢に達した時、上記のようなリアリティーを伴ったストーリーに驚きと共感を得る。それは、既にレビューされている通り、自分自身が年齢を重ね冷静に客観的に自分と比較してこのドラマを見れるようになったのかもしれない。それが新たにこのドラマに対しての違う側面を見せているのかもしれない。