岡嶋二人はここ最近『99%の誘拐』で読み始めた。へえ、珍しいなあ短編か、と思って読んだけど、証言だけで構成される『記録された殺人』と『遅れてきた年賀状』がダントツに面白い! あと、「ダブル・プロット」のことで井上夢人が解説に書いていた「もうひとつのダブルプロット」が読みたい〜! 昭和が舞台ではあるけど、言葉が古臭くないから今も面白い、新保博久解説にあった言葉に納得した。このダブル解説って笑っちゃった。本人であって本人でない解説ですよ、だって。内容的には『チョコレートゲーム』が何より好きな私としては☆4つだけど、この解説で☆1つ追加。
富豪の奔放な一人娘が、不審な事故で死亡してから三ヶ月。
事故の直前まで彼女と一緒に居た四人の男女が、彼女の母
親によって、地下にある核シェルターに閉じ込められてしまう。
そこのトイレの壁には、死んだ娘と事故車の写真が貼られていて、
その上に「お前たちが殺した」と赤ペンキで殴り書きがされていた。
四人は、脱出を試みつつ、事件の真相について議論を重ねていくが……。
現在の話に、時折、三ヶ月前の過去の回想が挿入されるというカットバックの構成が
採られ、四人が事件について議論を重ねることによって、少しずつ三ヶ月前の記憶が
甦り、真相を究明するためのデータが揃っていくという展開となっています。
それぞれに自分は無実だと主張して譲らない四人は、ともすると感情的になり、なかなか
冷静に議論しないのですが、それでも彼らの証言を客観的に検討し、総合していくと、彼ら
以外に犯人はあり得ないのにも関わらず、彼らの中の誰も犯人の要件を満たさないという
奇妙な矛盾が浮かび上がってくることになります。
もちろん、そこには欺瞞が隠されているのですが、それに最後まで気づけなかった主人公
を見舞う痛恨の真相は、極めて残酷。何といっても彼は、その「出発点」から間違えていた
のですから。
四人の人間関係の力学によって作り出される「偽の解決」も真相と
拮抗した優れたもので、ミスリードとして、十二分に機能しています。
この作品はやり込めるか、それとも投げ出してしまうか。人によって大きな差が出そうなタイプの本です。 主人公は指定されたページの選択肢を選び、さらに選択肢で指定されたページへ飛び、さらにそこでも選択をして別のページへ飛んでいく・・・ 読み方、選び方次第で読む人ごとに何通りもの違ったストーリーが展開されていくわけで、発売当時は画期的な小説でした。バッドエンディングももちろん用意されています。しかし、ページを飛ぶという行為がいちいち次のページを探さなければならないという行為に他ならないので、ゲーム版RPGと違い、これがなかなか面倒なことなのです。ストーリー自体は岡嶋二人らしい機知に富んだものなのですが、そういう面倒な側面があるので、そのストーリーにはまり込まないとこのRPG小説を途中で投げ出してしまうという危険性があります。 本という体裁でRPGをやるという事の難しさを教えてくれる一冊です。 ストーリーそのものは秀逸なので一度トライされてみてはいかがでしょう?
誘拐ものは岡嶋二人の得意とする所ですが、これはその中でも最高傑作との呼び声も高い代表作です。また、俗に「後期3部作」とも称される作品群(他は『そして扉が閉ざされた』『クラインの壺』)の一つでもあります。 誘拐というテーマは、どうやら“本格”志向の人には敬遠されがちのようです。かくいう僕も以前はその傾向があったのですが、まあ兎に角、ミステリ好きならば是非読んで頂きたいのです。ハイクオリティなミステリ・スピリットが横溢してますよ。ジャンルとか関係ないです。言わずもがな、岡嶋二人一流のサスペンスフルな筆の運びにぐいぐい引っ張られてしまう事も保証できます。 また、当時のハイテク技術を駆使したストーリー展開も魅力たっぷりですが、そうした先端知識というものは、時代と共に色褪せてしまいがちなのが宿命でもある中、この作品に関してはその心配は無用です。古臭さは感じられません。知識に依存しているのではなく、何よりも先ず物語の骨格となるプロットが秀逸な故でしょう。寧ろ、当時はそういう状況だったのか、などと純粋に好奇心を刺激されたりもしました。云ってみれば、例えば現在のハイテク技術に置き換えても、物語の輝きは何ら曇る事はない、とも言えるでしょうか。 結末のつけ方も切れ味鋭いですよ。
とにかく衝撃を受けました。読了後なんとも言えない気分に・・・
主人公である彰彦はある日、自分が原作者となった仮想現実のゲームにテスターとして招待されます。
そこで出会うのは梨紗という美しい女性。二人はすぐに打ち解け、仲は深まります。
すべては順調に進んでいるはずでした。ある事件が彼らの身に降りかかるまでは・・・
衝撃を受けた点はいくつもあるのですが、ネタバレしかねないので触れることができません。
主人公に感情移入しすぎるあまり自分自身も主人公と同じ恐怖と疑問を抱く、それほどのリアリティを持った作品です。
驚いたことにこの作品が作られたのは、1989年ということです。
しかし本作は今読んでも全く違和感がありません。
それどころかこれから後何十年もほぼ改稿することなく読み続けられるのではないかと思います。
それほどに完成され、先を見据えられた物語です。
空想と現実、真実と嘘が入り乱れた不可思議な世界を恐怖と共に体験できるお話でした。
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