ディープマジックはマジック・ザ・ギャザリングの解説書で初期の良書です。初版からアイスエイジまでのカードを収録したカードリストとデッキ構築に必要な理論が詳細に記されています。その理論の多くはカードプールがすっかり入れ替わった現在でも充分に通用するものばかりです。
私がマジック・ザ・ギャザリングを始めたのはミラージュが発売されて間もない頃でしたので、ディープマジックに出てくるデッキリストのカードは古すぎました。まだPCも持っていなかったので知らないカードの名前は辞書のように巻末のリストで調べて少しずつ読み進めました。そして、自分が持っているカードの中で似たような効果のカードを見つけ出してディープマジックで紹介されているデッキを模したデッキを色々と作ってみました。現在でもトーナメントで活躍している多くのデッキが同じような手法で作られています。過去の強力なデッキのレシピを元に、それを現在のカードで模しています。
古い本だと敬遠せずに、ディープマジックを読みながら当時のトーナメントを想像してみるのも楽しいものではないでしょうか。
白州次郎についての本は何冊か読みましたが、これがベストだと思います。筆者に感謝。白州のダンディズム等については多くの人がレビューで言及しているので割愛しますが、こんな日本人が存在していたなんて奇跡です、かっこよすぎる。また現在に通ずる戦前戦後の昭和史についても理解を深めることができますよ。老若男女を問わず読んでもらいたい。個人的には近衛文麿の憤死の章が何とも言えず感慨深かったです。
深く思考すること、および知識を蓄積することは許されない。したがって、本の閲覧も所蔵も重罰に処せられる社会。許される娯楽は、刹那的な快楽の享受を約束してくれる<<テレビ>>の視聴とその中の<<家族>>との対話のみ。没収された本はすべて焼き尽くされる、そこに書かれてある内容とともに、華氏451℃の業火によって。 主人公モンターグは、書物を見つけ次第火炎放射器で焼き尽くす当の焚書官ではあるが、不思議な少女クラリスに出会ったことで、物事を「なぜ?」と疑ってかかる思考を取り戻す。そして本を一掃する自分の仕事、本を憎み焼き尽くす社会をごく当たり前のものとして受け入れていた彼の世界観にもほころびができてきて・・・。
レイ・ブラッドベリがSFを通して描き出すのは、まるで想像がつかないような遠い世界のようで、僕らの間近に迫っている問題のようにも思える。それは荒唐無稽なようで、僕らの生きる社会のゆがめられた戯画でないと誰が言えよう。 情報がその内容の質ではなく、膨大な量で計れるこの時代は紛れもなく情報過多である。 しかしそれら情報によって、僕らはより優れた選択をさせてもらっているというよりも、その情報のインフレーションの中で何も考えられない迷い子にはなっていやしないだろうか。そうだとすれば、パソコンのモニター画面に没頭する僕らは、<<テレビ>>に夢中になるミリーたちとなんら変わりない。
老教授たちが諭すとおり、答えは書物や情報の中にすでに収められているわけでは決してない。 あるのは答えでなく手段であり、あくまで僕らは自らの答えを、その思考をもってして紡ぎ出さなければならないのだから。
現代アメリカ文学の至宝、幻想文学、怪奇小説、SF小説など幅広く流暢な文体の「レイ・ブラッドベリ」の小説の映像化作品。
監督は、フランスの名監督「フランソワ・トリュフォー」
近未来の文化の敵「焚書」を、テーマにラストシーンは感動的です。
ブラッドベリの小説を、読んでから自身の想像力と名監督トリュフォーの具現化とを対比するのも興味深い愉しみ方とお勧めしたい。
皆さんきっとお目当ての俳優がいらっしゃってこの本を買われるのだと思います。
もちろん蜷川実花さんの写真が好きという方もいらっしゃると思います。
私は、大泉さんを拝見したくて、この本を購入したのですが、全ての写真を見ていく内に、ほかの俳優さんの魅力にも惹きつけられました。
私は蜷川さんの写真を初めて拝見したので、偉そうなことが言えた立場ではないのですが、それぞれの俳優さんのいい部分が凄く滲み出していると思うんです。
あるいは、テレビで見る表情とはちょっと違った表情(大泉さん・劇団ひとりさん等)が見れたりして、私は劇団ひとりさんがすごくいいなぁと抽象的ですがそう思いました。
大泉さんファンとして書くのであれば、いつもとは違う、ちょっと格好良い大泉さんがこの本で見られると思います。(バラエティじゃめったに見られない表情ですよ^^)
何だかまとまりのないレビューになってしまいましたが、蜷川さんの撮られる写真がお好きな方はもちろん、掲載されている方々が少しでも気になる方は購入をおすすめします。
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