私は40台半ばにさしかかろうとしている男性ではありますが、まさか私が少女漫画原作のドラマを楽しみに毎週月曜日9時に時間をあわせて、リビングに陣取るなんて思いもしませんでした。
このドラマは、もちろんスト−リ−やキャスティングもすばらしくそれだけでも面白い作品ですが、一番すばらしいのは音楽に対する真剣な姿勢ではないかと思います。
毎回すばらしい音楽に魅了され、演奏シ−ンを楽しみに見ていました。
なんとコミックスも全巻そろえ、サントラも入手いたしました。
もともとロックが好きな私に、クラシックのすばらしさを教えてくれ、漫画も捨てたもんじゃないなぁと思わせくれた作品で、近年では貴重な体験でした。
良いものを作ろうと言うスタッフの熱意が伝わる傑作で、最近では少ない家族でそろって見れる、すばらしい作品です。
個人的にこの作品に出会えたことに感謝いたします
私も漫画から読んでる人間ですので、
ドラマや、アニメには動きを要求してしまいます。
ドラマは、忠実に再現するところと柔軟にドラマの
長所を盛り込んで傑作に仕上がっていました。
アニメは、一番の特徴が静止画面で描かれる演奏シーンでした。
かなり冷めてしまう部分もあった訳ですが、
アル意味完璧を追求するほど納得のいかない部分が
作成者に出てきてしまったのではないかと思います。
そこで、視聴者に想像力を求めたのでは・・・・
そう勝手に解釈してたら最終回ののだめのピアノプレイが
とんでもなく感動し、天才的に見えました。
TVで特別版が放送されたので DVD予約をやめようと思っていました。
が放送内容は 映画とはまったく別物。実際の半分くらいの量ですか?
あれを映画前編だと思われたかた 誤解ですよ!
ノーカットで流れ全体を楽しむためには やはりコレですかねえ。
上野樹里は芝居が下手である。
しかしこの劇のスタッフは大成功を納めた。
巧んだのか、巧まざるか。単に原作に沿うたのか、
上野樹里は常人にはありえない誇張した舌足らずしゃべりをする。
この舌足らずしゃべりが、上野樹里の芝居下手を救ったのみならずか、
外国人が片言の日本語をしゃべると可愛い〜といった効果も生んでいる。
これは、江戸時代、吉原の花魁に「ありんす言葉」を仕込んだのと同じである。
江戸の在や北関東、東北から連れてこられた遊女は、訛っており、
何を話しているかわからない、その弊を避けるため吉原の住人は
女たちに「ありんす言葉」を仕込んだ。
おかげで、全国どこから来た田舎者の男でも吉原の言葉ならわかった。
さらに「ありんす言葉」はまた一方で吉原の女たちしか喋らない、
金のかかる言葉として男心もくすぐることにもなったのである。
現在の大河ドラマで江役の上野樹里があまりに芝居が下手なことを思い、
この作品を見ると、上記の思いがますます強くなるのである。
物語もいよいよ佳境に入ってきた。この作品については日本語版のレビューはされ尽くしていると思うので、主に英語版と日本語版の比較について書きたい。
読み比べて少々残念なのは、訳者があまりクラシック音楽に詳しくないらしいことと、この時点までの既刊全てを読んでいるのではないらしいこと。例えば巻末の特別編で、バイエル(ピアノ教室で最初に必ず習うBayerの入門者向け教則本)が「Baieru」になっていたり、花桜先生(9巻で男性であることが分かる)が「she」になっていたりする。日本語版では「ドヴォルザークの田園交響曲」になっているドヴォルザークの交響曲第5番が、英語版p113では「新世界」になっているのもいただけない(「新世界」は9番)。
とはいえ、他の英訳版マンガと比べても、非常に丁寧に作られているのは確か。アメリカ人に理解しにくい部分も無理に意訳したり勝手に内容を変えたりせず、巻末の「translation notes」で詳しく説明する、という方針にも好感が持てる。マンガを通じて日本の文化を理解したい英語圏の人にも、マンガで英語の勉強をしたい日本人にも、そして、難しいことを言わずただ純粋に「のだめ」を楽しみたい人にも、お勧めの1冊なのは間違いない。
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