元検察官でもある郷原氏が、小沢事件で明らかになった検察組織の腐敗ぶりについて4人の方々と対談したものである。最後に対談を踏まえた郷原氏の総括がまとめられている。対談相手は、小川敏夫前法務大臣、石川知裕衆院議員、大坪弘道元特捜部長、八木啓代氏だ。 特筆すべきは八木氏の活動である。歌手・作家ではあるが政治とは無関係の方が、なぜこのような市民活動を始めたのかについて「検察によるクーデターを阻止しなければならないと思った」と言っている。政権交代を果たした民主党の小沢党首は当然首相になるはずであり、それが民主主義のはずだが、それを好ましくないと考える検察官僚が、政治資金規正法による冤罪をでっち上げたのである。東京地検特捜部の捜査では起訴できず検察審査会を使ってまで有罪にしようとしたが、結局それはできなかった。これにはこの市民の会の活動などが大きく貢献している。 小川前法務大臣は、検事、裁判官、弁護士の経験があり、田代検事の記憶の混同に関する最高検報告書が信用できなかった。法務大臣の役割として国民が納得する捜査をする必要があると思い、指揮権発動をしようとしたが、その前に解任されてしまった。しかし、国民の側に立つべきという信念を持っているのであれば、野田首相の了承を得るというようなことをせず、自らの判断によって指揮権を発動すべきだったと思う。 大坪弘道元特捜部長は、村木さん事件でFDの改ざんをした部下を隠避した容疑で起訴されたが、小沢さん事件では東京の特捜部長は戒告処分だけだった。これは不平等だ、自分の場合だけ罪に問われるのは納得がいかないと憤っているのだが、それ以前に村木さん事件の捜査指揮し冤罪で起訴し有罪にしてしまったのは、大坪氏自身ではないのか? そのことは棚上げにして検察を批判する側に立っているのは余りにも都合がよすぎはしないのか! 大阪地検では、裏金作りを内部告発しようとして別の微罪で有罪にされた三井環氏がおり、やはり検察批判を行っているが、三井氏の場合とは全く違うのではないか! 郷原氏は、以前「検察の正義 (ちくま新書)」を出版したが、その時は自浄作用による組織再生を期待していたと思われるが、さすがに今回は「検察崩壊」と断じた。 本書では触れられていないが、森ゆうこ議員の「検察の罠」によれば、法務省本体や最高裁も同じ穴の狢ということだ。検察と裁判所の間では人事交流があり、黒幕の一人といわれる黒川官房長は検察の検事だったそうである。
ウィシング、松岡直也BANDなど、日本のラテン・フュージョンの大御所「松岡直也」のサウンドメイクに携わってきた強者達が一同に会した作品。97年の録音。非常にシンプルな音作りで、いわゆるシンセサイザーなどの電気楽器は殆ど使用されていない。それだけ演奏するミュージシャンの個性がその輪郭をはっきりとさせている。参加ミュージシャンは、ベースに高橋ゲタ夫、フルートに赤城りえ、サックスに佐藤達哉、土岐英史、川嶋哲朗、トロンボーンに向井滋春、大儀見元のパーカッション・・・等々。松岡直也の娘さんもボーカルで参加している。
ラテンポップスの歌手として名を知られた人物がモノした小説、という事で12年前の刊行時にも話題を呼んでいた。 当時は点検しただけだったが、今になって時間もあったので読み込んでみた。 今の時代は、テレビの中でのエンターテイメントまがいのよそごととしてしか、国際的な事象も感じられなくなった人、無知を満喫、家畜まがいの人間ばかりになった時代ではある。 だから、少しでもまともな人間性がある人なら、一読なさるべきだろう。大方の予見では、著者の経歴肩書きでタレントの余技位に甘く見る向きもあるのだろうが、著者の経歴だからこそ、この知性だからこそ成し得た、恐るべき価値の書物なのだと申し上げておく。 著者が注目され始めたのは、ニフティーでのPANDRA-REPORT(今も著者サイトから読めるので一読を)で、優れた感性と読者を引付ける強いカリスマに、稼ぎの匂いを感じた編集者が口説き倒し乗せまくって、これが出たのだろう。 最近になって、この国に巣食って社会を腐らせている法曹界の支配層に、質問状の形で楔を打ち込んでいる一団の代表でもあるのが、著者の一面でもある。 原稿用紙1050枚もの書き下ろしで、「小説」と銘打ってあるが、明快に整頓された歴史的事実に、小説の構成を持ち込んだものと言って良い。小説的価値は一流の水準であろう。 転変暇もない国際情勢の真実に繋がる、価値の輝く事実をこれだけ見事に、見える代物にするのは、特別な感受性と知性とセンスが不可欠だ。 著者は、それを持ち合わせ駆使出来る逸材。 この国に必要なのは、それだけの解析力と明快な視野を保った人間に拠るデーターの開示なのだが。 ・・・飯の種にしてオモチャっぽい味付けをしてやらなければ世間に出す事も叶わぬ。というこの国の文化文明の惨状では、という嘆息も添えて、お薦めしよう。<(神社にある泉湧寺で保管されたノウハウと合わされば、日本人の知性は息を吹き返すが・・・)←この部分非一般> 優れて明晰に切り抜かれた事実の欠片(ピース)が、ジグソーパズルの様に嵌め合わされている。 その事実のいくつかは時代を超えて、過去の日本の過ちの事実迄にも繋がった貴重な欠片でもあるのだが。 全てを緊密にして読み解けるには、それなりの資料の読み込みや学習が必要だろう。 10回程、勉強を挟みながら、読み返してみれば、読み取れる世界が違ってくる程に、面白く優れた著作に仕上がっている。
「サトウキビと野球の国、キューバ」。日本ではあまり知られていないこの国において、「音楽」は“世界戦略商品”だった。(主にヨーロッパ向け)
キューバの複雑な成り立ちからその音楽性を語っているこの本は、“キューバ文化”の入門書としては、読みやすくてよいと思います。
残念なのは、「本」と言う紙メディアのため、その「音」や「動き」(グルーブ感)を伝えられず、どうも読んでいると欲求不満になる。これを聞きたければこのアルバム、とか、この場所、といった、サポート記事があるとよかったと思う。一応、巻末で「音符」を使った解説があり、何とか“伝えよう”という意欲は感じられるのだが…。
「ソン」「ダンソン」「フィーリン」はどう違うんだ?!
これを読んで何かを感じたら、もう後はキューバに行くしかないね。
ほかの「ハシズム」関連本とちがうのは、この本が「遠吠え」に終わっていないことだと思った。
たとえば、橋下氏からは「役立たずの学者」と名指しされている中島岳志さんの論考(第一章)は、ひじょうに落ち着いたトーンで橋下氏の「手の内」を解明していく。そして、「冷静な眼を養ったうえで(略)私たち国民の方が熱狂に乗ってはなりません」という。
また、雨宮処凛さんは、橋下氏について直接には言及せず、ある集会で介護士の待遇改善に反対し、老人の生活保護をカットすべきだと主張する人たちが何人も現れたエピソードを紹介している。
そして、池田香代子さんは、みずからを「独裁への道の敷石となる者」として自己批判(?)することで、「わたしたち」がハシズムを生みだしているのだ警鐘をならす。
そう、モンダイはもはや橋下氏の言動のみにあるのではなく、「クソ教育委員会」や「役立たずの学者」と権威や権力を叩く姿に喜んでいる私たち自身にあるのだと、この本は言っているように思う。
もちろん、この本のなかにも「遠吠え」はあるし、兵庫のおじさんのように皮肉たっぷりの論考もある。しかし、全体を通して伝わってくるのは内なるハシズムと向かい合うためのヒントだ。
あと、「タイトル変更の舞台裏」というあとがきがいい。
中島氏のことをあまりよく知らなかったけれど、「こういう考え方をする人なのか」と、彼のほかの著作も読んでみようかという気になった。
憲法違反とも言われる教育基本条例や、当選時の会見が省略なしに全文掲載されているのもプラス評価。
上野千鶴子さんや八木啓代さんといった人の書き下ろしが読めるのも得した気分。
ただ、いくつかのコメントがネットでも読める点だけ、星ひとつ減点しました。
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