精神世界で自己成長をやる方法はいろいろありますが、この本はどういう世界で生きている人にも、意識の成長という点からその位置を教えてくれます。また現実生活から離れることなく、それらをどう関わらせるかということも書いてあり、宗教ややっている内容にかかわらず一度は目を通した方がよいかと思いました。医療関係で心理療法などをやっている方にも有用です。というのは、この本では一般に覚醒で言われる、ボディ、マインド、スピリットといった3つ以外に、シャドーという分野をしっかり提示しているからです。これはまさに心理学や心理療法が扱う分野で、これまではこれらと悟りが別に扱われていた印象がありますが、この本ではこれを統合しています。これが成果だと思います。 アジズとフーマンの本でも、フーマンが生徒をノーマインドへ導くにあたりカルマワークというか、感情を浄化するステップがあるらしいですが、これが非常に強いものらしく、現実生活の中でハートにこびりついている過去生や幼少時からの防御服を脱ぎ捨てねばならないのですが、これをこの本ではシャドーと称して、ひとつのテーマとしてます。現代の心理学と悟りという問題がつながった感じでした。 Oshoの本でも、この感情の浄化の問題は書いてあった感じです。 さらに、非二元の領域のものを語る時に、1人称だけでなく、2人称や3人称というとらえ方は、言葉でしか理解できない我々には非常によいと思いました。宗教が偶像などでそれがなぜ有用となる場合があるかというと、2人称の関係を自己の中でしっかり確立できるから、この本でいうところの2人称のワーク(一般には祈りといわれるが)を深められるからであることがよくわかる。ついつい3人称で「それ」を知的にだけ学びがちとなるが、ハートのワークというものは2人称の関係を通っていくことが道という意味では大切なことかとも思われる。
まだ、裁判の傍聴に行ったことがないという人にとっては、いいガイドブックになります。 実際、自分もこの本を読んで裁判傍聴へ行きました。 漫画というのが、わかりやすいポイントでしょうか。
傍聴した事件、ひとつひとつは、とてもおもしろいのですが、 それ以上によかったのが、傍聴のあとで、 日比谷公園を散策するというような記述、これを参考に日比谷公園を歩き、 ビールを飲みました。
ハードフォークサスセション時代を彷彿させる1枚。
初っ端の「お元気ですかマーコさん?」や「警察に行ったのに」
は、清志郎らしさでいっぱいです。
個人的に「プリプリ・ベイビー」が好きです。
清志郎と、まだ幼い頃の愛娘、百世ちゃんのやり取りが
何とも微笑ましいです。
声のハリは若干衰えているものの、それも気にならないくらい、
まんま清志郎がここにいます。
こういった類の書籍は殆んど興味がなかったが、(1)相応の学歴を有し、様々な選択肢があったにもかかわらず、なぜ今の生き方を選んだのか興味があったこと、(2)様々な人の生き方や価値観を覗いてみたかったこと、(3)限られた収入で豊かに暮らすことは、これからの時代ますます重要になってくること、などから手にとった次第
節約生活術にはあまり興味が沸かなかったし、この部分については他のレビューを参考にして頂きたいと思うが、要は住居費や国民保険料などの固定費を除いた変動費を年間36万円(月平均3万円)以内に抑えるというものであり、そのための料理レシピなどが数多く紹介されている。無尽蔵に時間があるので手間隙かければやっていけるのかもしれないが、個人的にはあまり参考にならず。
一方、20年間無職を生活続けていることからみえてくる生き方や価値観は共感できる部分があった。
また、お金を掛けずに豊かに生活するこという制約にチャレンジすることにより、創造力や発想力が豊かになるのではないか。
我々はこれまで豊かに暮らすということを真剣に考えてきただろうか。マスメディアや世間が作り上げてきた価値観や豊かさにに流されてきたことはなかっただろうか。自分なりの豊かさを探求することは、己の生き方を見つめ直す一つのきっかけになるかもしれない。したがって、本当に必要なことは節約術ではなく、自分はどう生きたいかといった人生哲学だと思う。
他人と異なる生き方を選ぶには、自分を納得させるための哲学や価値観が必要であり、時にはそれが自己弁護のように聞こえてしまい、共感できないことも多いのだが、著者の場合はわりと腹に落ちるものがあった。
著者は、「他人には理解してもらおうと思っていなし、説明しても分かってもらえないと諦めている」とした上で、いくつか気にとまった考えを紹介しておきます。
・今の世界に蔓延している「勝ち組か負け組みか」、「善(正義)か悪か」、「成功か失敗か」、「正しいか間違いか」、「上か下か」というように世界を二色に分け、それだけで人間の価値を評価してしまうような二次元的世界観とはおさらばしてしまった。したがって、こうした発想で自分の考えや行動に価値判断を下し、己の人生を縛り上げることはやめてしまった。(P203)
・30歳という働き盛りで社会との距離をとりはじめた僕でも、生きていくためには知恵を絞らなければならない。その過程で、「人が生きるために必要なものはそれほどたくさんはないし、知恵と考え方次第で人生いくらでも楽しめるものだ」ということを知ったことが、ささやかな収穫である。
・社会の状況が思わしくないならば、あとは自分の心を変えるしかない。自分を取り巻く環境など、他の窓から眺めれば、いかようにも違って見える。要は、ものは見よう考えよう。自分の意志の力で確実に変えられるものは、自分の心だけ。
・何に贅沢を感じるかは、人によって違うのが当たりまえ。なにも自分の幸福や健康をないがしろにしてまで、社会の常識や価値観をそのまま受け入れる必要はない。
・さらに言えば、社会の常識や価値観なんて利用するもので、縛られたり、踊らされたりするものじゃないと思っている。もちろん、社会の常識や価値観は尊重する。批判もしない。だが、自分がそれに従うかどうかは自分で決める。そして、そのリスクは甘んじて受け止めろということ。
気軽に手にした書籍だったが、最後の方は考えさせられることもあった。
アフガニスタンで、何者かに誘拐されたジャーナリスト 常岡浩介氏の157日間に及ぶ拉致監禁生活 体験記。常岡氏の同居人 岡本まーこ氏と、イラストレータにしかわたく氏が、漫画としてまとめたものだ。同コンビの裁判傍聴もの「法廷ライター まーこと裁判所へいこう!」では、笑いの中に込められた著者の真摯さに感動したものだが、本書も同様、きっちりとメッセージを読み取ることができる。
アフガニスタンで行方不明になったジャーナリストが、タリバンから解放されたというニュースは聞いたことがあるが、その後、報道がなかったのでちょっと不思議に思っていた。なんと、過去のグルジアでの身柄拘束や、ロシアでの逮捕を踏まえ、外務省から常岡氏を使うなというキビシイお達しが出ていたというのだ。どうりで耳にしないはず。
本書を読まなければ、常岡氏に起きた一連の出来事とその顛末を知ることはなかった。面白いと言っては失礼か。いや、実に興味深い。
人質となった常岡氏。いつ命を絶たれてもおかしくない中、犯人グループたちの奇妙な日常が始まる。ゆるい笑い話の中に垣間見える死の恐怖。にしかわたく氏のイラストが可愛いだけに、かえって、いたたまれなくなってしまう。携帯電話に詳しいことから携帯博士へ祭り上げられた常岡氏。英語の分からない犯人グループの目をよそにtwitterで情報を発信し始める。間の抜けた話だが、これもまた死を賭した行動なのだ。
最終的に、どうにもならなくなった犯人グループは、常岡氏を解放することになる。本書で、犯人グループのメンタリティーの違いに言及しているが、この状況は想像するだけで怖い。一歩違ったらどうなることかと。こういう世界があるのだ。こういう世界で生きている人々がいるのだ。常岡氏のアフガニスタンでの日々を通してしみじみ思う。
気になるのは、常岡氏が自己責任をどう捉えているかということ。個人の無謀さが、日本国そのものに迷惑をかけていることにならないか。その回答は本書の中で述べられている。私は理解はできたつもりだが、皆さんはどうだろう。
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