主人公に大きく影を落とす父親の存在が物語に奥行きを与えている。 吉行氏にとっては父親の存在はかなり大きいらしく、他の作品でも父親の行動に引きずられる息子を描いた作品がある。 息子にとって父親は「大人になるためには越えなければならない壁であり、またいつまでも越えられない壁なのだ」とは良く言われる事だ。しかし主人公のように父親が今の自分よりも若いときに死んでしまっているのでは「どうやって父親を越えたことを父親に知らしめることができようか」という嘆きも聞こえてきそうだ。 愛人と性的な関係に滑り落ちていくことに、主人公はあまり抵抗を示さない。迷い、ためらいながらも結局関係を深めていってしまう。これはどこかで「派手な生活をしていた父親」を越えることができる!かもしれないと言う、父親に対するライバル心の現れだったのではなかったのだろうか。 性的な表現に抵抗があるかもしれないが、上記のような背景を考えると主人公を単純に性的充足を求める輩と規定するわけにはいかないと思う。父子関係という永遠のテーマのひとつを扱った作品と言えるのではないだろうか。 表題作の原形となった作品が併録されており、対比すると物語の膨らませ方も楽しめる作品集だ。
私は作家というものは「良き読者」でなければいけないと思っている。
この「良き読者」というのは、どういうことかといえば「自分自身がどういう作風を好み、そしてどういう作風のものを苦手としているか」に対して強く認識している人間である、ということである。要するに「他者を知ることによって自己を知る」ということだろうか。まあ、推敲という作業の実務的な側面もあるのだろうけど。
で、村上春樹である。断言する。彼は屈指の読み巧者である。確かにこの本で述べている通り、文芸批評的な部分に関しては精通していないし、創作上、必要と思っていないようだ。しかし、実作者としての経験則に基づいて、極めて刺激に富んだ解釈をしてゆく。とりわけ長谷川四郎の場合は翻訳者でもあるため、その点を踏まえた鋭い切り込み方をしている。
他のエッセイ集を見た限り、彼は「良き読者」のために作品を書いているように思う。「良き読者」が「良き読者」のために作品を書く。素晴らしいではないか。
蛇足だが、太宰治と三島由紀夫は苦手らしい。判るような気がする。
ニッポンで、女に生まれて
解決のできない生きにくさ、しんどさ。
どんなに優秀でも、性格が良くても、スポーツができても、
結局は「容姿、若さ」という記号でのみ評価が下される
残酷さ。
東電OLの事件が起こったときは、
いろいろな記事をむさぼるように読みました。
私は彼女のように、優秀ではないけれど、
スゴク、努力してるのに
( 仕事ばかりでなく、気配りをし、
おしゃれに気を遣い・・・)
努力しても努力しても埋められない何かがあり
ほんとにしんどくて。
なぜこんなにしんどいのか?
すべて自分の神経質な性格のせいなのか?
上野先生の著書は、私にとって
救いの一つでした。
そして、今回の「女ぎらい」は
久々の 直球!!!
こんなニッポンに、上野先生がいてくれて、良かったです。
また、書物の持つ、すごいパワーに、あらためて驚かされました。
フェミニズムとか、難しいことを
私は実はよく理解してなかったり
しますが(笑)個人的には超・おススメです!
男社会で働くすべての悩める女性は(働いてなくても)
食わず嫌いせずに読んでみるといいと思います。
大ストライクだったりしますから。
この短編集は、吉行文学の原点がつぶさに知ることができる短編集である。 貧しい時代を背景に男女の駆け引きとその揺れる心をスレートな表現で書かれている。 終戦直後に書かれた作品で、時代背景や古さを感じるが、 それもまた味わいが良く、時代を超えて受け入れられることであろう。
「現代人に共感をよぶ部分があるとしたら、生の危うさ、死の不安を描いたところだろう」のような趣旨のことを作者は語っている。男と女にとっての性を題材にした作品を描き続けた作者の作品の中でも秀作として知られる作品である。所々に、航空機から眺められた歯のような情景、メダカを池に放つときの「死」を感じさせる描写など、印象的なエピソードが挿入され、複数の女性関係を必要とする主人公の「生への不安」が浮かび上がっている。性は文学の大きなテーマのひとつであるが、その中でも秀逸な作品と思われる。谷崎潤一郎ほどの甘口の文体ではなく、谷崎がちょっと苦手なわたくしでも大丈夫だった。
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