アイ・アイ・アイ
アインダ~リスボン・ストーリー 映画「リスボン物語」サウンドトラック |
ヴィム・ヴェンダーズ監督の映画「リスボン物語」のサントラです。この映像とマドレデウスの音楽、そして歌姫テレーザ・サルゲイロの黒髪に魅せられて、私はリスボンへ旅立ちました。アルバム「アインダ」を聴きながら旧市街の坂道を散策したり、狭い石畳の道路を走る路面電車の車窓から眺めて聴いたり。ひとり旅だった私には彼らの音楽が旅の友人でした。「アルファーマ」をアルファマの街中で聴いてみて下さい。 |
クラシックの殿堂 |
静かな曲、激しい曲、有名な曲、無名の曲、それぞれが何の脈絡もなく2枚のディスクに盛り込まれています。38曲も入っていれば当然知らない曲が幾つかあるので、添付された曲ごとの簡単な解説本が役に立ちます。 クラシック音楽の「よく聞く部分」だけを楽しみたい人には適していると思います。 目当ての曲を聴くために購入したら、別の曲が気に入る、というオムニバスのいいところを堪能できるはずです。 |
リスボン物語 (ユニバーサル・セレクション第3弾) 【初回生産限定】 [DVD] |
ヴェンダース監督1994年の作品。
(おそらくヴェンダース自身が投影された)録音技師、ヴィンターは友人の映画監督フリードリヒの手紙を受け取る。 撮影済みのフィルムにアフレコを付けてくれとの依頼、途中思わぬ車のトラブルに見舞われやっとの思いで辿り着いたリスボンに彼の姿は無い。 ヴィンターを監視するような少年の影、フリードリヒを助けてやるからと金をせびる怪しい男、なにやらキナ臭さが漂う中歌姫テレーザの登場で場は一変する。 彼女の出現、そしてその歌にこそ、この映画の意味が込められている。 歌声は物語となって大河テージョの如くリスボンをゆったりと流れ、その流れは水とともに時を運ぶ。 彼女の歌声こそがリスボン、「歌声に酔う」のはこの映画の必然的な展開なのである。 美しい旋律に寄り添うような言葉(歌詞)、大西洋から吹きつける風のはためきのような歌声は全身に浸みわたり、聴く者を捉えて逸らさない。 終盤、行方不明だった映画監督が現れ、映画史の原点を求めて二人でリスボンを撮影して回るのだが、映画のストーリー自体は曖昧でさしたる意味を持たない。 一連のヴェンダース作品の中における、音楽との深い結びつきを再認識する作品である。 20数分の特典映像もこの映画にとって特別な意味を持つ。 撮影後20年近く経過した今だからこそ、テレーザの語りには映画以上の意味を持つ部分がある。 惜しむらくは部分的にせよ字幕に違和感のある箇所があること、しかしこれが映画そのものの価値を損ねるものではない。 |
リスボン物語 (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】 [DVD] |
録音技術者の主人公が、友人の映像作家から、古い撮影スタイルの作品に音楽をつけて欲しいと頼まれて、リスボンに赴くが、なかなか友人と会えない。
けれども、友人が撮影したフィルムを目にすることができた。 そこで彼は、その映像に音をつけるべく、昔ながらの録音スタイルで音をつけたり、みずからヘッドフォンとマイクを持ってリスボンの街を録音して歩きながら、友人を捜すのだが・・・ ヴェンダーズは、単純に好きな映像作家の一人です。 その中でもこの作品は「音」を主題にしている感じがして好きです。 プロであれ、アマであれ、録音に携わる人にとって、 「聴こえる」という当たり前の感覚に対して、 単純に驚きと喜びに、日々接していると思われます。 アインシュタインは、死ぬということを 「モーツワルトやベートベンが聴けなくなること」 と簡潔に語ってます。 映画は前時代への郷愁を誘うものかもしれませんけど、 録音に携わる一人の男の物語、 録音、音の真空パック、の技術者の後ろ姿を描いてくれてるような印象を受けます。 余談ですが、サラ・ムーンという写真家・映像作家が映画黎明期の頃の手法で ショートフィルムを作っていたりするそうです。 自分はまだ見ていないのですが、是非見てみたいです。 録音、撮影は20世紀の産物で、歴史的には比較的新しい技術、文化と思います。 黎明期の作品には、単純に、音や絵に対する素朴な驚きや喜びが含まれているような感じがします。 目や耳が汚れてきたな、って時にはこれを見てリフレッシュしてます。 |
リスボンの小さな死〈下〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫) |
登場人物の感情や心理が網のようにあらまりあいつつクライマックスへ。ポルトガル滞在に読み始めたのですが、リジュボア近郊が舞台なので風景が目にうかびました。伏線がたくさんあるので、2度読みがお勧めです。 ポルトガルに滞在したことがあって、なおかつ歴史ミステリファンにお勧めします。 |
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