年金は本当にもらえるのか? (ちくま新書)
本書は、過日の参院選の直前に小飼弾氏が、投票前に読むべき本だと絶賛されていた。
やや、出遅れたと思いつつ読み始めたところに起きたのが、先日来の高齢者の行方不明と年金搾取疑惑を想起させる多数の事案の露見だ。年金という制度そのものに問題があるからこそ、かような事件が起きるのだろう。
年金の制度自体が元々問題のあるものだったとする提起は、過去にも野口悠紀雄氏が著作で披露していたが、本書ではその分析がさらに踏み込んで行なわれ、かつ新書という事もあり一般の方にも分かりやすいように、平易に書かれている。
時間の無い方は、初級編、中級編、上級編の各章の最後のまとめだけでも、頭に入れる事をオススメする。
中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚
菜根譚が洋の東西も時代をも超越した普遍的な処世訓をまとめた「世界遺産」であることは間違いないと思います。明の時代に生きたという著者は人間関係と幸福論を極めた人物なのでしょう。すばらしいバランス感覚を持っていると感じます。
この本について言えば、前集222、後集135の中からをカテゴリーに分けて再編集しているのですが、その再編集はあまり意味があるようには思えません。また、訳というよりは解釈といった方がいいコメントがついているのですが、これについては、様々な反対意見もありそうに感じました。読みやすいので、あくまでも入門書と思った方がいいと思います。
極めて個人的な意見ですが、中国古典は、初め分からない言葉を何度も読むうちにじわーっと意味が分かってくるプロセスを経て自分のものになるように思いますので、もう少し原文に近い訳を読まれた方がいいのではないでしょか。
日本いまだ近代国家に非ずー国民のための法と政治と民主主義ー
メディアと検察の信用はとっくに地に落ちているが
遂に裁判官の信用も地に落ちた。
その功労者が陸山会事件判決の登石郁郎裁判長である。
裁判所こそ、行政権力の恣意(思いのまま)から人民(国民)の権利を守る城塞である。
これがデモクラシーの公理である。
ところが、このデモクラシーの公理を殆どの日本人は知らない。
マスコミも知らない。検事も知らない。弁護士も知らない。裁判官も知らない。誰も知らない。
デモクラシー裁判であるのかないのか。
そのための判定条件は「刑事裁判において、裁判官は被告の味方であること」
勿論、裁判官は公正でなければならない。しかし、中立であってはならないのである。
行政権力である原告(検事)から被告(の権利)を守る。
これが、『デモクラシー諸国における裁判官の役割である』
お分かりですかな登石裁判長。
刑事裁判において、挙証責任(これが事実であると証明する責任)は、原告である検察官(検事)の側にある。
検事は公開された法廷で被告人が有罪であることを、完全に合法的、かつ「合理的な疑いの余地のない」ほど明確に立証しなければならない。
近代刑事裁判は「検事の裁判」であると言われる。
裁判官の役目は、検事の立証に少しでも瑕瑾(きず、欠点)があるかどうか、それだけを裁判すればよい。
その他のことは、いっさい、風馬牛(関知しない)でよい。
完全に合法的であるか、証拠が完璧に実証されているかどうか、それさえ検討すればよい。
ほんのわずかでも不十分な点があれば、検事(国側)の負けである。
被告は無罪である。
これが刑事裁判の大原則である。
お分かりですかな登石裁判長。
最後に、刑事裁判では状況証拠は証拠とされません。
2010年4月27日の最高裁判決で、やっと確認されました。
もちろん登石裁判長はご存じないでしょうが。