2001年、アメリカで6週間に亘って行われた「ジプシー・キャラバン・ツアー」。 4ヶ国の5つのバンド、9つの言語が集った。ルーマニア、スペイン、マケドニア、インド。国も文化も言語も違うが、彼らの歌には皆、ジプシー・ミュージック共通の、人生の悲しみと喜びが込められていた・・・。
最も有名なジプシー楽団、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのリーダー的存在だった、故・ニコラエが声をかけて実現したこのツアー。 スペインからは、フラメンコ界を代表して、アントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル。 マケドニアからは、バルカンの歌姫・エスマ。 ルーマニアからは、世界に名を轟かせるタラフ・ドゥ・ハイドゥークス。そして超絶ブラスバンド、ファンファーラ・チョクルリーア。 そして、インドからは、北西部ラジャスタン地方の芸能集団・マハラジャ。 ジプシーのルーツの地と云われる、インドからの参加が実現したことは、このツアーの最大の収穫ではないだろうか。 こうして、国や言語、背負ってきた歴史がみな違う者たちが一同に集い、ツアーが幕を開ける。本ドキュメンタリーでは、そのステージの様子や、それぞれのミュージシャンの故郷などを取材。それは国境や文化や時を越え、ジプシー・ミュージックの絆を確かめ合う感動的な旅だった。
現在、メディアではジプシーのことを「ロマ」と呼ぶ。ジプシーは西欧人によって付けられた蔑称で、自らは「ロマ」と呼ぶから、というのが理由だが、実はジプシーの映画やドキュメンタリーを観ていると判るのだが、自らを「ロマ」と呼んでいる人々はほとんどいない。耳を澄ませていると、大体「ツィガーヌ」「ヒターノ」「ジタン」・・・といった言葉が聞こえてくる(字幕は大体「ロマ」に直されているが)。彼らの多くは、忍従の歴史の中で、いつの間にか蔑称を自らの名として、むしろ誇りをもって受け入れてきたのが判る。メディアがやっているのは「配慮」ではなく、ただの「エクスキューズ」、結局は彼らのことを理解していない、という事だ。 しかし、このドキュメンタリーを観て驚いたのは、初めて自らを「ロマ」と呼ぶのを聞いた事だ。マケドニアの歌姫、エスマがそうだった。あの地方では、「ロマ」という名称を使うのだ。しかし、ツアーの参加者には、ロマ語を話せる人もいるし、話せない人もいる。そして他のミュージシャンは、皆それぞれの名前で自らを呼んでいる。スペインのフラメンコダンサーは「ヒターノ」。インドのダンサーは、「ジプシー」という言葉を、堂々と使っていた。自分の故郷がこの民族のルーツだという事に、心の底から誇りを持っているのだ!
このインドのバンド、「マハラジャ」のダンサーは、女装の男性。以前『ジプシーは空にきえる』という映画のレビューで、ジプシーの踊りの回転と、インドのカタックダンスに共通点があると書いたが、奇しくもそれがこのツアーで証明されている!このダンサーが踊るのが、通常は女性によって踊られるダンスなのだ。そして、フラメンコにも回転運動はある。メンバーの一人が言う「フラメンコの回転はカタック・ダンスの旋法(ラーガ)に通じる」と。 その回転は主に反時計回り。時をさかのぼり、無垢な状態へ・・・くるくるくるくる、まわってまわってまわって、いまそのルーツはひとつに融合する。
彼らは、どこでも演奏や歌を始めてしまう、天然のミュージシャンだ。 街角で、入ったレストランの中で、飛行機の搭乗口で。自分が今いる場所が、歌う場所なのだ。 ステージが始まる直前にもフッと消えてしまって、スタッフが慌てて探すと、街角で歌っている(笑)。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの、ニコラエの自宅あるルーマニアの村。普通のジプシーの村だ。「いつか、友人のジョニー・デップみたいに庭にプールを作るよ」とジョーク交じりに語るが、「ここが寝室」と言って通された部屋は、フツーに狭い。世界で知られるジプシーバンドのスターは、ちっともスターのような生活をしていないところが素敵だ!
CDの売り上げで、村に電気を引いた、ファンファーラ・チョクルリーア エミール・クストリッツァの映画『アンダーグラウンド』でメインテーマのように使われていた、あの曲「カラシニコフ」が演奏される!熱い熱い熱い! ジプシーのブラスのルーツは、トルコの軍楽隊だという。ジプシーは、様々な国の文化を取り込みながら、皆独自の発展をしてきた。 彼らは、ルーマニア東部の村に住む。 「ここはアメリカのホテルみたいな浴室もないし、汚い場所だ。寒ければ火をおこさなきゃならない。でもやっぱり、この村にいるのがいい」・・・「自由だからね」 ジプシーの馬車が横切っていく畑の向こうに、大きな大きな虹の橋が架かっていた。
筆者は、あえて「ロマ」という言葉は使わない。「ジプシー」という言葉には、いまや差別的な意味よりも遥かにロマンと自由への憧れが込められているから、と信じる。 音楽とダンスの渦の中で、その数奇な運命さえ祝福する、ジプシー・ミュージック。 それは国境なき世界遺産なのだ。
自分は誓って違法ドラックのジャンキーではないけれど、これにとても共感できる。できてしまう。 自分の中にそういうものが無い人には、これは、荒唐無稽な不良達の無茶苦茶物語のようなものとして楽しめるだろうし、有る人には、それだけでは片付けられない何かが、読後に残るはずです。ハンター・トンプソンの現在唯一の普通入手可能な、訳本。損はない、と思います。
MITの学生がラスベガスで、理論に基づいて大勝ちする話です。
実話にもと図いていることと、自分は24歳で似たような年頃なので凄い感情移入できました。
最近公開されたソーシャルネットワークもハーバードの学生が、起業する話で凄い私的にも
魅了されたので、ソーシャルネットワークの映画が好きな方はこちらの映画もすきなれるはずです。
物語としては非常に面白い。
カードカウンティングの世界にはまっていく過程が雑すぎるが、彼らのチームプレイとカウンティングのノウハウというのは読んでいてなるほどと思ってしまう。
ただ、この物語がイマイチスケール感が小さいのは、MITの学生がわざわざこんなチマチマしたことをして小金を稼いでいるという点だ。
これが、中学校もまともに出ていない奴らの集団であれば非常に読み応えも成り上がり具合も楽しめる。
エリート街道を歩いている奴らが、わざわざ堕ちぶれていく様を描いているようで違和感を禁じえない。
普通にMITを卒業して普通に就職した奴らの中にこの程度の収入を得る奴らはごまんといる気がする。
真面目君たちの与太遊びとして読むのが適している。
この装丁はもっとなんとかならんのか、と思います。
ずっとラリッてて度を越してて気持ちわるーい。 こっちまで平衡感覚が麻痺してくる。 でもカッコイイ!!でも気持ちワルイ! でもジョニー・デップもベニチオ・デルトロも有無を言わさぬ存在感 がある。しばらくは衝撃が覚めやらず、2人がオープンカーで風切っ てる場面をPCの壁紙にしてました。 ここのレビューで、ベトナム戦争だとか時代的な背景に 触れて、なるほど と思いました。 だだの、ドラッグ映画ではないのですね。 もういちど観てみようかな。 トンプソン氏は今年亡くなってしまったのですよね。
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