心は科学的に説明され得るか、という哲学上の問題を解説した本。まず「科学的に説明する」とはどういうことかをアリストテレスまでさかのぼって議論するというかなり硬派な本でもある。最近の心の哲学の動向までふまえて、かなり本格的な議論が展開される。
著者がデカルト研究者であるためか「デカルトに帰れ」という結論になっているけど、たしかに物的因果と心的因果を峻別したデカルトの思想は、極端な還元主義と神秘主義をともに退ける効能を持っていて、自然科学の立場からは受け入れやすい。(著者の好意的な読みに乗せられている可能性を差し引いても)
ところでこの本の中では触れられていないけど、コンピュータの登場以降、「情報」には物理法則とは独立にそれ自体の法則性があり、しかもそれは科学的に探求可能だとする認識が確立したと思うけど、その情報独自の法則性こそがデカルトの(著者の理解する)心的因果に最も近いものなのではないだろうか。そのあたりの見解を知りたい気がする。
初のソロCDと聞いて,びっくり。そういえば,さまざまな演奏家の伴奏者としてのCDしかなかったか?どこかオリジナル楽器奏者の演奏といった雰囲気もあり,安心して「バッハの世界」にひたることができる。特に「フランス風序曲」はすばらしい。こうなると,かつてLPで出ていたピアノ演奏による「パルティータ」や「フランス組曲」なども,ぜひCDで再発売してほしいと思う。しょうもない演奏をくり返しCD再発売している昨今,なぜ,こうした名演奏が復活しないのか?
中山悌一の歌は、リアルタイムでは聴いたことがなく、初めて録音で聞いたのは、「18人の名歌手が歌うシューベルトの魔王」という欧米のさまざまな歌手(女声含めて)のアンソロCDでした。そのなかで、日本語で歌われている中山氏の「魔王」を聞き、震撼しました。声もドイツ人歌手に遜色のない深いものですが、日本語が立っていて、初めてリートというものの真髄にふれた気がしました。
そしてこのCDセットに。三大歌曲集もゆったりしたテンポで、ある意味、オーソドックスに歌われています(こちらはドイツ語)が、やはり独特の情感があり、最近のドラマティックだったり、ささやくように歌い流したりするようなあちらの有名歌手のもの(ローマン・トレーケルとか、ヨナス・カウフマンとか)より、飽きない味わいを感じました。
しかし何よりもやはりすばらしいのは「荒城の月」や「二人の敵弾兵」などの日本語歌唱。言葉と音楽が一体になって、胸の奥に入ってきます。「マンドリンのセレナーデ」も全く違ったジョヴァンニ像をきかせてくれました。
(日本歌曲は習っていてもいまひとつぴんと来なかったのですが、それは、今まで聞いたCDが、日本語をローマ字として楽器のように歌っているからだったのだと思いました。)
高雅で誇り高い日本語に、楽器ではない「歌曲」の力を感じたい人はぜひ。
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