久しぶりに最高のものを見た!と、感動しています。1968年製作、確かに古い映画です。しかし、今見ても見劣りしないこの迫力、ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘプバーンの気迫、見事としか言いようがありません。 互いに相手の腹を探り合う駆け引きに、どんどん吸い込まれて、最後まで飽きずに見てしまいました。特殊撮影ばかりに走る最近の映画も悪くはありませんが、こういったシンプルな、映画らしい映画をもっと見てほしいと思いました。出演者全員に拍手喝采。
英雄譚であり教訓譚。昔ゝあるところに〜っていう絵本のようなノリでまったり観てれば中々面白い。二時間弱の尺で話が上手く纏められているし、伝えたい事がよく分かる。途中から話が読めてしまうがロードオブザリングの様にダラダラ長い割に、何を伝えたいのか焦点の定まらないファンタジーよりは良いと思う。ベオウルフも、凄いけれど駄目なところがたくさんあるのが人間臭くて好きだ。完璧な英雄など嘘くせえって思うから。
見世物小屋で人々の好奇の視線にさらされていた主人公が、ホプキンス演じる医師に助け出され、彼の助力により徐々に人との繋がりを取り戻してゆく。が、それでもなお彼を食い物にしようとする人物が次々と現れ、再び彼を悪夢の世界に連れ戻す。 そうして彼の悪夢のような日常と、医師たちのもとでの平穏な日々とが交錯するドラマを描くことを通して監督のリンチは、醜いもののなかにある美しさ、普通だと思われていたものの醜さと残酷さを浮き彫りにしてゆく。 平穏な日々を送るうち、「異形の人」は創作することのなかに生きることの意義を見出す。その姿は監督のリンチ自身を連想させる。 「異形の人」がその異形の身体を好奇の目にさらすことによってしか社会に受け入れられないように、リンチは自らの「異形のイメージ」をスクリーンの上にさらけ出すことで世界と繋がる。監督のリンチは、そんな自分のアウトサイダーとしての心情を、エレファントマンという「異形の人」に仮託して表現したかったのかもしれない。 終盤、「異形の人」の人生最良の日となる劇場の場面で、彼の目を通して見られる舞台を描きだす映像は、リンチの作品であると同時にある意味「異形の人」の作品でもある。 空想の世界に生の喜びを見出す二人のイマジネーションの所産である、そのモノクロームの映像が切なくも美しい。
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