広島の郡山城は毛利元就公が全山城塞化して、居城にしたところです。秋の紅葉見学を兼ねて探訪してきました。道が整備されて、案
吉田郡山城 ランキング!
区切りも短く、織田と使い分けそうなところも「信長」で通している等、信長の時代に興味が無くても読み易い書き方をされていると思います。信長自身の小ネタは番組等で見かけるものも多いですが、数字には、当時の数字から推る実際の動員力に、当時の文献側からも「信長発表の兵数は盛られている可能性が高い」と裏付けを取るなど、説得力の強い内容と思いました。ただ既出のように、足利義昭には義輝義信と名前が3つあり、天正6年=1582年(1582年=天正10年は本能寺の変が起こり、信長関連本としてはちょっと誤記してほしくないところ)と、やや雑な感も。「桶狭間」のタイトルですが、桶狭間は1/4程度で、当時の税制や商売のルールといった庶民事情、それに至った背景など、信長を軸にそちらが主役で楽しめました。信長の時代の出来事を見るバックグラウンドを拡げてくれる一冊だと思いました。 「桶狭間」は経済戦争だった (青春新書インテリジェンス) 関連情報
こんな本を待っていたんだ! 最初に発刊されたときの印象です。他社に、「城のある町への旅」をテーマにしたシリーズもありますが、やはり城好きにとっては、城そのものがテーマでなくては面白くない。その点、こちらのシリーズは、最新の研究成果を紹介しながら、かつての城郭の姿をできうる範囲正確な史料を元にCGで甦らせていて、城好きの心をくすぐります。この巻では、壮大な天守を誇った山陽のお城を取り上げていますが、古風でおおぶりな広島城や福山城など、CGはもとより、復元時の誤りなども紹介しており、非常に興味深いものとなっています。 よみがえる日本の城7 広島城 (歴史群像シリーズ) 関連情報
戦国時代の動乱は日本全国に飛び火しており、各地で大名同士の争いが繰り広げられていた。源頼朝に仕えた大江広元を祖とすると言われる毛利氏も大内氏・尼子氏の二強が対立する中国地方の一豪族に過ぎなかった。元就は幼くして実母を失い、父とも死に別れる。孤独な元就を父親の側室であった杉の方が養育した。長じて元就は兄を補佐して乱世を生き抜くべく戦いに身を投じていくことになる。だが、兄も父と同じく深酒が原因で命を縮めた。跡を継いだ兄の息子を叔父として補佐する元就だったが、その子も病死。ついに元就が毛利家を相続する。当初は尼子家に従っていた毛利家であったが度重なる無理難題や、元就の家督相続に反対するなどしたことから遂に元就は離反を決意。大内氏の傘下に入る。尼子氏は元就を攻めるが、頑強な抵抗に遭い、さらには大内氏の援軍も駆け付けて敗北する。勢いに乗る大内氏は尼子討伐の軍勢を以て月山富田城を包囲するが、長期戦に疲れた大内氏は退却。殿を務めた元就はかろうじて戦場を離れた。その後、大内氏は当主の義隆が政治を顧みず文芸に耽るようになり、次第に重臣の陶晴賢との関係が悪化。遂に晴賢が反乱を起こし義隆を殺害。これを切っ掛けに元就は大内氏との戦いを決意する。毛利家の命運を決定付けたともいえる「厳島の戦い」の火ぶたが切って落とされたのである。元就は敵の重臣が自分と内通しているかのように見せ掛けることで、内部分裂を起こし、敵が自ら戦力を削ぐように仕向けた。所謂「反間の計」であるのだが、人間の猜疑心を甘く利用することで戦局を大きく自軍に有利なように傾けたわけだ。さらに自軍の重臣が敵に内応するかのように仕向けて、大軍である陶軍を狭い厳島におびき寄せ嵐を付いて果敢に出陣して奇襲する。数では勝っていた陶軍も完全にパニックになり、次々と討ち取られていった。この戦いでは元就の三男で小早川家に養子として送り込まれていた隆景の活躍が大きかったという。厳島の戦いに勝利した元就は弱体化した大内氏を滅ぼし、尼子氏も打倒。中国地方の覇者となるのであった。こうして見ると元就の人生は幼年時は「徳川家康」に酷似し、家族の愛情薄い艱難辛苦の中での船出であった。二男の元春を養子に送り込んだ吉川家にしても、三男の隆景を送り込んだ小早川家にしてもかなりあくどい「お家乗っ取り」であったし、尼子家の当主・晴久の叔父にあたる国久率いる「新宮党」を除くために元就が国久が自身と内通しているかのように見せかけたなどという話が囁かれるなど(実際は元就によるものではなく、尼子氏内部の自発的な粛清のようだ)、その知略は幾多の戦国大名の中でも抜きん出ていた。信長・家康・秀吉を別にして、一代で十か国を支配下に置いた大名は元就だけだ。武田信玄・上杉謙信でもこれほどの領土の拡張は出来なかった。豊臣政権下で健在であったならば、家康と並んで五大老の筆頭であったことだろう。 戦国人物伝 毛利元就 (コミック版 日本の歴史) 関連情報